〈平成31年3月31日投稿〉
先日開催させていただいたセミナー「炭鉄港と岩見沢」の模様を北海道新聞様とプレス空知様が記事にしてくれました。
著作権の都合上、北海道新聞様の記事は掲載できませんが、実はそちらには私の名前や画像は一切出ること無く「吉岡宏高理事長らが、、」という表記になっています。
これがなぜかと言うと、統一地方選が近いから・・・。
というやむを得ない理由になるのですが、実は4年前の選挙直前のときにも、711系赤い電車廃止に伴うイベント準備に参加し、それらが某テレビ局のドキュメント番組として取り上げられる場面がありました。
事前の打合せなどは担当の方が私の事務所にきてくれて詳しい打合せをしたりしていたのですが、いざ撮影が始まると、実際のイベント会議のシーンで私は退席させられ、会議への参加すら阻害される始末。このときは炭鉱の記憶マネジメントセンターで会議をしていましたが、私だけポツンと視界に入らない2階のロフトの椅子に移動して会議の進行を無言で見守っていた記憶があります。
この時の担当の一言は「選挙前に議員さんが映ると不公平だと言ってクレームが入るんです」とのこと・・・。これに似たような事は初めて議員になってから、選挙の有無に関わらず随分と経験していることではあります。
それらの時も平等の概念があまりにも現実と程遠く、非常に不甲斐ない思いをしたのを覚えています。
率直に言えば、他の議員が新聞やテレビに載って不公平だと言うのであれば、自分たちも常日頃から何か企画をして実施していれば良いだけの話であり、それは地域がより活性化する好循環にも繋がると思われます。
それをしないで足を引っ張るのは、まちづくりなどでも良くある「他の行動を批判するのは自分は何もしていない人」という概念が当てはまります。そして大手報道機関が、実際にクレームがなかったとしても、”あったら困る”という視点の下、その様な判断をしていることに、日本の事なかれ主義の根深さを感じます。
ただ、行政の視点など、色々と自分の身の回りに当てはめてみると、この様な判断も仕方のないこととも言えるので、当然のことながら自分なりに理解もしているつもりです。
ただ、乱暴な言い方になるかもしれませんが、これらは何もしていない人に基準をあわせて、やっている人をやってないことにするということ。
本当の平等とはなんだろう?と考えさせられます。特に先日、とある御婦人から「平野君も動きが見えない」と叱られたばかりに・・・(汗)
それでも今回の北海道新聞さんは、厳しいルールの中、何とかセミナー自体を報道できるように親身になってくれました。おかげで主な目的である「炭鉄港の日本遺産認定に向けた応援!」という趣旨は遂行することができました。これも普通であれば、選挙前なので報道できませんと言われて終わりという状況だったと思われます。あらためてそのご尽力に感謝申し上げます。
また、それを実現するために、当初は私一人の報告会的な企画だったのが、NPO法人炭鉱の記憶推進事業団が共催としてくれ、更に吉岡理事長が多忙の合間を塗って(当日は千歳空港から直行)、私の話の後に「総括的まとめ」というスタンスでお話をしてくれました。
実はその様な背景があって、今回のセミナーが成り立ちました。おかげさまで内容も非常に評価が高いものとなり、吉岡理事長を始めとするNPOの皆様に心より感謝申し上げます。
今回、プレス空知さんの「やっていることは、やっていることとして掲載します。」という言葉には本当に救われましたし、某大手新聞様にも親身になって対応いただいたことに心強く感じたと共に、心から感謝しています。