[平成26年12月12日投稿]
すっかりブログ更新が滞っておりました。実は12月2日に公示された衆議院議員選挙に伴い、非常に多忙な毎日を送っています。
そもそも私が政治に関わる様になったのは、日頃からのまちづくり活動の延長というのが大きな柱ではありますが、それと同時に、30歳の時に自民党系選挙の遊説に関わる様になり、それまで自分には縁の無い世界と思っていた政治への距離が、ぐっと身近になったのも大きなきっかけの一つでありました。
その様な事もあり、今回の衆議院選挙でも役割を担わせてもらっており、そんな活動も自分の政治的な繋がりの幅を拡げ、「出来る事」が増えるための大事な要素の一つだと捉えていますし、実際にそうなっているのは間違いありません。
さて、昨今の政治を取り巻く環境に危惧をしています。
「誰に入れても一緒。」「どうせ変わらない。」という様な意見も聞きます。
これまで通りが通用しない時代において、この国がどんな方向へ向かっていくのか。あまりも課題が大きすぎて誰もが答えを見つけられていないのかもしれません。
原発のことも集団的自衛権のことも、そして先日施行された秘密保護法も、その中身は一般国民には不透明なままで、我々のレベルでは正しいのか間違っているのかを個々に判断することすら難しい現実があります。
また、ここでは記載を避けますが、各種他国間協定等、上辺の情報だけでは判断できない様々な事情が絡み、建前だけでは議論できない事も多々あるのかもしれません。だからこそ山積する勘案事項の中で、自己の立場や利益を守るのではなく、また、特定の組織や団体の利益を誘導するのでもなく、国益の下に自身の信条を貫いていける政治家が必要とされます。そのジャッジをするのが選挙でなければならない思っています。
しかし実際には国政においても、地方のレベルにおいてもなかなかそうならない状況が垣間見えます。
恐らくこれまでも全うに努力して活動している人が沢山存在して、しかし、選挙で選ばれる際には例え理念が無くとも「人気取り」の上手な人や特定の利益誘導に力を発揮する人等が当選し、逆に実直に努力してきた人が淘汰されるという事を繰り返し、結果として民意の反映が期待できない今の政治環境が構築されてきている様な気がしてなりません。
現に地方議会議員である私の周囲でも、日頃の活動を通し全く尊敬に値しない方がいるのは事実です。しかし、選挙では票が集まる。そして、特定地盤等を持たず、実直に未来の岩見沢に向け、目先の利益誘導を良しとせず、全体最適を志すタイプは大いに苦戦するという流れもあると感じています。
その背景には「日頃の活動が見えない。よって選びようもない。」という声が大きいのも事実であり、そこは私達自身大いに反省しなければならない部分です。ただ、せめて消去法でのジャッジで良いとも思います。
自分の目先の利益のためや、やたら腰が低いし感じが良かったとか、握手した時に良い人そうだったから等々で選ぶのではなく、国政においては国益全体を鑑みられること。地方においても、目先の利権等ではなく、地域全体や地域の未来のために働く人間を選ぶこと。そんな定規でジャッジしていければ、政治を志す優秀な人も増えてくるのかもしれません。
今の政治はあまりにも理不尽な事が多いです。私自身、こんな小さなまちの一市議ですら窮屈な思いを沢山します(勝手にしているのかもしれませんが・・)。
国政においても、地方議会においても、被選挙者が適正なジャッジを受けることができることこそ、正しい政治の運営に繋がると思います。それぞれが自分たちの基準で、自分が良しと思う候補者に投票する。それこそが今後の政治を活性化し、世の中を変えていくことに繋がるのだろうと信じます。
世界にはその選択の機会すらない国があります。私達の国には幸いな事に選挙という民意を反映させる手段があります。
今回の選挙も、そしてこれからの全ての選挙も、是非個々人が出来る限りの正当な判断軸を用いて、その権利を行使していただきたいと思います。当然、私もそうしていきたいと思っています。