〈令和3年9月15日投稿〉
本日は朝10時スタートの総務常任委員会から始まり、11時から私が委員長を務める民生常任委員会。13時から経済建設常任委員会と立て続けに常任委員会があり、更に14時からは議会改革委員会の第2ワーキンググループで議会基本条例の協議と、長いこと市役所議会棟に詰めておりました。
その帰り道、、
本来であれば今日は神社まつりで賑わっているはずの日だったことを思い出し、せめてお詣りぐらいしていこうかと岩見沢神社に立ち寄りました。
そこで目にするのが「巖見澤紀」という石碑。
これは岩見沢市の有形文化財にも指定されているもので、明治38年に開基20年を記念して石黒長平さんが建立されたもの。岩見沢の地名の由来が記されています。
(↓)その文字は漢文で非常に難解ですが、資料を元に紐解くと・・。
岩見澤は浴澤の転称なり。開拓使幌内炭山を開きしとき、十数里の間、莽蒼として深林は人煙を四絶したり。明治十一年、道路をはじめて造る。執役の丁卒、盧舎を結び、澗流に就きて浴す。因って浴澤と称す。畠一番地に今も尚、遺跡を存せり。十五年、運炭鐡道此の地に成り、停車場となる。浴の訓由阿美と岩見は相近き故、岩見澤という。
〈岩見沢開基120年・市政60周年記念誌より〉
という様に書いているそうです。
今風に言うなれば、岩見沢は”ゆあみ沢”から言葉が変化した。開拓史が幌内の炭鉱を開発するときに、40km(1里4km)以上の間、人を寄せ付けない深い林であったが、明治11年に道路を初めて作る。作業につく人々が元町付近の幾春別川で沐浴をして疲れを癒やした。畠一番地(元町付近)に今(明治38年当時)もその跡がある。明治15年石炭を運ぶための鉄道がこの地に敷かれ駅ができた。湯浴みの読み、「ゆあみ」と「いわみ」は響きが似ているので転化して岩見澤となった。という感じでしょうか。
実際にはこの地名の由来には諸説あり、信ぴょう性という面では何とも言えないところ。
岩見沢は明治期と大正期に大火が発生していることもあり、大事な書類がことごとく残っていないそうで、この地名の由来が本当かどうかは永遠の謎となるのかもしれません。しかしアイヌ語由来の多い北海道において、和名でしかも「癒やし」の言葉が語源というのは、これからのまちづくりには大いに大切にしたいところ。石黒長平さんもきっと後世に活用できるチャンスをくれたのだろうと思う次第です。
さて、静かな岩見沢神社でありましたが、お賽銭をいれお詣りをして振り返ったら、新たしい市役所庁舎が見えました。非常に立派な庁舎ですが、今後また半世紀以上にわたり市民に愛されてほしいと思う次第です。
新型コロナウイルスの影響で、2年連続でお祭りがなくなってしまいました。
寂しい反面、感染拡大の防止にはやむを得ないことでもあります。願わくば来年の今日は、久々の神社まつりを楽しむ多くの市民がこの場所を埋め尽くしていることを祈るとともに、一刻も早い終息を願うばかりです。