〈令和元年9月4日投稿〉
9月3日(火)の午前10時30分より、月形町の篠津山霊園において、各機関、市町村、関係団体を始め180を超える参列者のもと、樺戸集治監物故者追悼式が厳かに執り行われました。
私はNPO法人 炭鉱の記憶推進事業団 吉岡理事長の代理として、また囚人の功績は炭鉄港とも非常に深く関連しているため、心の中では北海道「炭鉄港」市町村議員連盟の会長としての意識を兼ねて参列した次第です。
この樺戸集治監は、明治14年に東京、宮城に次ぐ全国で3番目に開かれ、主に明治維新後の士族による新政府への反乱や、自由民権運動などによる政治犯や重罪犯が収監されました。
現在の北海道発展になくてはならない礎として、過酷を極めた樺戸道路や上川道路の開削、各地の開墾や屯田兵屋の建設等々を担い、多くの囚人が命を落としていきます。
この樺戸集治監では、明治14年から大正8年までの廃監までの39年間に1,046が病気や事故でなくなり、その内、遺族に引き渡された24名を除く1,022名の無縁仏のお墓が篠津山囚人墓地として整備されています。
406名の個人埋葬と、616名を3箇所に分けた合葬墓があり、もともと木の墓標だったものを、昭和56年以降に月形町の負担で石柱へと変更したものです。
月形町はこの先人の苦労に感謝の念を示すためにも、桜庭前町長時代からこの追悼式を行っています。
この囚人の功績については、岩見沢にとっても大きなもの。もっと私達は知っているべきだと感じます。現在の環境は多くの先人の手によってもたらされたことであり、その中でも囚人が担った部分はその根幹にあたる非常に過酷な側面でもあります。
それらに関しては、こちらの月形町のサイトがとても良くまとまっていますのでご覧いただければと思います。http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/5525.htm
また、私の個人的な思いとしては「赤い人」(吉村昭著)をご一読いただければ、当時の様子が良く理解できると思われます。
https://bookmeter.com/books/545256