〈令和5年7月25日投稿(遡り5月31日付けに修正)〉
これまでと環境が大きく変化してしまい、なかなか自分の投稿に時間が避けない状況になってしまっています。しかしながら、それではイケナイ!ということで、なんとかスケジュール帳を遡りながら備忘録投稿をしたいと思います。
■5月16日は臨時議会でした。
こちらでも記載したとおり、議会内の主要な人事が決まりましたが、私自身の重責はこの日はまだ決定しておりません。この後、ご紹介させていただきます。
■5月18日(木)
幌内炭鉱変電所の公開日だったので、ご挨拶も兼ねて見学へ
この変電施設は、北炭が大正時代に夕張清水沢の火力発電所から歌志内まで敷いた自家製高圧送電線網をルーツにしたもの。実際には昭和10年代に木柱から鉄塔にかけ替えられたのですが、この変電所はいつからあるのかは曖昧な状況と聞いています。非常に趣のある建物ですが、ここまでの規模ではありませんが、似たような施設がまだ各地に存在しています。
■5月19日(金)
15時から空知シーニックバイウェイの会議に出席。
夜は久々となる会派の懇親会
■5月20日(土)
NPO炭鉱の記憶推進事業団で指定管理を受託している夕張市石炭博物館へ!
万字峠にはまだ雪が沢山残っていました。
■5月24日(水)
毎年恒例となっている中央小学校6年生への授業。今回は時間に余裕があったので、旧国兼邸の見学もプラス!
この様子は中央小学校PTCAのページでも見ることができます。
■5月25日(木)
議会の議員向け講習会、事務局からタブレットの使用説明と、私から議会基本条例についての説明を実施。あらためて今回のためにパワーポイントを作成し、自分自身もより理解が深まるきっかかに。
■5月28日(日)
北海道自治立志塾。これまではオンライン開催が主体だったのですが、やっとリアル開催とのハイブリッド化が当たり前になってきました。今回は道議会の一室をお借りして開催。
夜の懇親会も久々ながら、私はこのところ長引く体調不良もありノンアルコール。昨年11月に新型コロナウイルスにかかってしまってから、何となく体調が戻らず不調気味。コロナではなく加齢による回復力減少が主かもしれませんが・・。
■5月29日(月)
吉岡前理事長の急逝により、一気にパワーダウンしてしまう懸念があったNPO法人炭鉱の記憶推進事業団ですが、その顧問として、太田清澄札幌学院大学名誉教授と㈱島津興業の島津忠裕社長のお力をお借りすることができました。この度、空知総合振興局へのご挨拶等々を兼ね、岩見沢に来てくれましたので、誠に恐縮ながら委嘱状の交付式を執り行わせていただきました。
https://yamasoratan.blog.fc2.com/blog-entry-3375.html
■5月31日(水)
朝から大忙し!
東京の有名な高校が修学旅行で岩見沢に立ち寄ってくれました。これは夕張の地域状況を知る中の一つとして、日本遺産「炭鉄港」と地域の歴史の大切さを学ぶ的な時間であり、朝の8時半から11時半までの3時間という長丁場での受け入れ。
コミュニティセンターが9時から開館なので、それまでは駅周辺の歴史的エピソードと駅舎の関連等々のガイドをさせていただき、9時から11時10分ぐらいまではぶっとおしの座学。
私自身、高校生に対してフルで2時間のお話はしたことがなく、その準備にも随分と時間がかかったのですが、なんとか好評のうちに終了することができたと感じています。講演終了後の質疑応答も活発で、現在もメールで問い合わせの打診がきています。
最後の時間調整にマネジメントセンターの石蔵で石炭の話なども諸々行って無事終了!
下の画像はその時のものです。
そして午後からは北村にある空知鉄道さんの北村本線お別れセレモニーに参加。
これは今後の路線変更に伴う発展的撤退?とでもいうべくもので、今後、更にパワーアップされる予定です。
そしてそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターの石蔵では、野崎嘉男さんの「岩見沢三十六景」の展示最終日。最後にご挨拶にきてくれました。心より感謝いたします。
まだまだ沢山エピソードはあるのですが、とりあえずこれにて5月分の備忘録を終了し6月の備忘録へ続きます。