〈令和4年10月20日投稿〉
今週の土曜日はいよいよNPO炭鉱の記憶推進事業団主催、ぷらぷらまち歩きの私が担当する3週連続最終回となります。
コースは①そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターに集合 ⇒②岩見沢駅のホーム見学 ⇒③室蘭線に乗って志文駅へ ⇒④志文駅から辻村邸まで徒歩移動 ⇒⑤屋敷林及び邸宅見学 ⇒⑥旧国鉄万字線跡散策 ⇒⑦志文駅から岩見沢駅までJR移動で解散
という予定です。
目玉は、通常は立ち入ることができない辻村邸。
*辻村直四郎は明治25年に志文へ入植。志文の地名の名付け親でもあり、優れた農場経営。様々な優れたエピソードを有します。娘のもと子は、父の開拓日記をベースに小説「馬追原野」を執筆し、樋口一葉賞を受賞。文学界で大きく活躍をします。その育った家は大正2年建設で、現在も雄大な屋敷林に囲まれ、岩見沢市内に現存しています。
今回は特別に邸宅内も見学することができ、尚且つ辻村家資料研究会の方々が、これまでの調査結果から知り得たこと等々をレクチャーしてくれる稀有な機会となります。
その辻村家の偉大さに関しては、岩見沢市民でもなかなか知ることが叶わないことから、切り口を絞りつつではありますが、現在オリジナルのガイドブックを作成中です。
驚くほど多様な切り口があるため、今回はアウトラインとなる全体の年表と、裏面に直四郎さんの人となりの一部として明治期に単身で行ったアメリカ留学の話と、屋敷林の背景についてを主体としてまとめてみました。
とは言え、これが非常に難しい。
最終的には、元岩見沢教育大学教授、現辻村家資料研究会でもある村田文江先生からのアドバイスを多分にいただきながら、やっと完成が間近に見えてきたところです。
今回のぷらぷらまち歩きは、邸宅の中を見学する都合上、15名限定とさせていただき、あっという間に定員に達しました(先日NHKで放送された辻村もと子を特集した番組の効果も多分にあるかと思います)。
恐らく中には辻村家を知らず、「万字線の名残」というテーマに関心を示して参加してくれた方もいらっしゃると思うのですが、参加される全ての方々に、この辻村家の魅力を大いに感じてもらおうと目論んでおります。
邸宅内見学においては、今後の展開に向けたモニター的な意味合いも持つと思われ、ぜひ次の新たなステップにつなげていけたらと考えております。
何はともあれ、岩見沢の魅力として大きな可能性を秘める辻村邸です。この資料はぜひ多くの人に見てほしいと思っています(印刷が大変なので、そのうちPDFにして見れるようにしようか思案中です)。