〈令和2年5月21日投稿〉
昨晩、ありがたいお誘いをいただき、〈社会起業家的地方議員®のためのドラッカー読書会〉にオンライン参加しましたので、ちょっと備忘録的なメモを残しておこうと思います。
道内各地の地方議員の方々や進行の佐藤等氏など、約10名での開催。
課題図書はこちらの、〈はじめて読むドラッカー【社会編】イノベーターの条件~社会の絆をいかに想像するか~〉です。
今回の課題は
■1章~社会の存在を当然としてはならない
■2章~経済至上主義は人を幸せにするか
を読み、気になったところにラインを引き、それを発表すると共に感想やそこから気づいたことなどを述べるというものです。
しかしこれまでも数冊ドラッカーの本は読んだことがあったのですが、今回の課題図書は非常に難解!
社会の定義の部分を抜粋すると、、
□社会は一人ひとりの人間に「位置づけ」と「役割」を与え、そこにある権力が「正統性」をもつとき、はじめて機能する。
□一人ひとりの人間が社会的な位置づけと役割を与えられなければ、社会は成立しえず、大量の分子が目的も目標もなく飛び回るだけとなる。
□位置づけと役割をもたないものにとって、社会は不合理に満ち、計算できず、とらえどころのない存在である。
□一人ひとりの人間が社会的な位置づけと役割をもつことは、その個人にとって重要なだけでなく、社会にとっても重要である。
などなど、社会の定義一つとっても一見するとすっと理解することは難しく、様々なスケールに落とし込むなど、見る角度や深さを変えることで、また見えてくるものが違ってくるものです。
2章は更に難しく、マルクス主義の失敗、プロレタリア自信に対する独裁、資本主義の限界などを順序立てて解説し、更に自由と平等をテーマし展開されていきます。
以下、抜粋。
□人間とは、自らに与えられた自由かつ平等な知性によって聖書を理解し、自らの運命を決定すべき存在であるとするルター派の教義は、「宗教人」の秩序から「知性人」への秩序への変容をもたらした。この知性人の秩序が崩れた後、自由と平等の実現が求められた次の領域が、社会的な領域だった。人間は初め「政治人」とされ、ついで「経済人」とされた。
□経済人に代わる新しい概念が何一つ用意されていないことが、現代の特徴である。自由と平等を実現すべき人間活動の新しい領域は提示されていない。今日、社会の秩序はいかなる概念によっても説明し正当化することができなくなっている。新しい社会的な価値、新しい秩序のための新しい理由、そこにおける人間の位置づけと役割について説明を与える概念は、発展もしていないし獲得されてもいない。
●歴史の継続と断絶において、今、私達はコロナウイルス感染症により、大きな転換期を迎えている。これまでは「経済人」という秩序が優先されている社会であるが、今後、新しい秩序が必ずや出現する。
□これまでも、宗教が社会の基盤でなくなったとき、初めて宗教上の自由と平等が実現された。経済が社会的な認知と満足の基盤となったとき、初めて政治上の自由と平等が可能となった。同じ様に経済的な平等は、それが社会にとってもっとも重要なことではなくなり、新しい領域における自由と平等が新しい秩序のもたらす約束となったとき、初めて可能になる。
などなど、現在の私にとっては非常に難解な本であります。しかし議員という立場を預かる中で、これらの概念を身につけることは今後のあらゆる活動、判断においてプラスになることと確信しています。
まさに今、新型コロナウイルスの影響で社会が大きく混乱している中、それらに対応する根幹の部分は時代が変わっても同一であり、やはり原理原則や理念が重要であると感じています。そしてそれがこのドラッカーが明確にしてくれているのだと思うのです。
今回、初の参加となりました。
今後、第2回、第3回を迎えるにあたり、やはりじっくりと読み解き、正誤問わず自分の見解を持たなければ勉強会の意味も半減してしまうことを痛感した次第です。
次回はもう少し予習に時間を割いた中で、より自分ごととして昇華できるように努めてみたいと思います。