〈令和2年1月6日投稿〉
あけましておめでとうございます。
昨年は多くの皆様にお世話になりましたこと、心より感謝申し上げます。
今年は記憶にないほどの小雪から始まり、岩見沢らしくない正月を迎えました。皆様も日々の除雪に追われることなく比較的穏やかなお正月を過ごされたかと思います。おかげさまで、私もそれなりにゆったりとした日々を過ごさせていただきました。
しかしながら、その間にも様々な業態において休みなく働かれる方がいたりしています。あらためて世の中は多様性の上で成り立っていることを感じます。その事に対し、利己的な視野の下、様々に想像することをやめてしまうことの怖さ、また、感謝することの大切さを感じます。
さてこの間、世界ではアメリカがイランのソレイマニ司令官を殺害するという大きな出来事がありました。今後、どの様な様相となっていくのかとても心配ですし、エネルギー供給に関し、中東に大きく依存する日本の行く末も心配でなりません。また、ゴーン被告の海外逃亡という映画の如き出来事もありました。信じられない様なことが多発しています。
国内に目を向けると、オリンピック関連のニュースが多く、期待が高まると同時に、近年多発している自然災害への懸念が高まります。行政としてやるべきことを備えると共に、まずは自分ごととして自分達の身は自分で守るという意識を高めることが何より重要だろうと認識しています。
また政治が益々混沌としてきました。
最近、福沢諭吉の学問のすすめを読み返しています。これは現代語訳より原文ままの方が日本語としてのテンポが良く、多少理解しにくい言葉があるものの、小気味よく感じられます。まさに目から鱗の言葉が並びます。
その中にこの様な言葉があります。
『西洋の諺に、愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上に良き政府あるの理なり。』
まさしく今の政治はこの言葉の如くになってはいないでしょうか。投票の動機が利己的な視点に立ってはいないでしょうか。人口減少、高齢化を始め、非常に厳しい未来予測の中で、今の自分の立場を守ることを重視し、全体を俯瞰することを忘れてはいないでしょうか。政治は誰かが勝手にやるものと無関心になってはいないでしょうか。これらは自分自身に対しての自戒の言葉でもあります。
あらためて私は岩見沢市の市議会議員という立場から、岩見沢市の全体最適という言葉を思いおこします。私達議員の多くは組織や地域等に支持を受けています。ただ、それらの利権誘導や口利き的な活動を目的としてはならないと私は信じています。やはり未来を見通した上での全体最適に照らし合わせた中での判断軸が必須です。ただこれはなかなか支持を得られないのも現実です。これは怖いです。
あらためて、この地球は先祖から受け継いだものではなく、未来のこども達からの借り物である。という言葉を思い浮かべます。
今の私達の社会は、産業革命以降の急激な人口増加による成長経済が局面を変化させ、これまで経験したことの無い人口減少、高齢化による経済縮小・コスト増に対応していかなくてはなりません。岩見沢市の状況も公共施設の維持だけを考えても、とてつもない費用を要します。まさしく無い袖は振れない状況下、何を優先し、何を我慢するのか。これを市民の皆様と共有していかなくてはならないと思っています。ただ、これは言葉で言うほど簡単なことではありませんし、人ぞれぞれの立場、考え方で優先度も異なるものです。よって本当に行く末は難しいものです。
是非、同志の方々と力を合わせながら、一歩ずつ進んでいきたいと思います。
新年早々、乱文的な投稿となってしまいました。ご容赦ください。
余談ですが、年末に事務所の大掃除をしました。
自分の仕事環境を整えることは効率化においても重要なため、密かに考えていた大幅なレイアウト変更を行い、パソコンも24インチの3モニター横並びから、一つだけモニターアームを購入し縦レイアウトとしました。
この縦使いは本当に便利です。もっと早くにやれば良かったと反省中。これから次の広報広聴委員会のためのアンケート結果集計を基にしたプレゼンの作成に入ります。
どうぞ本年も叱咤激励のほど、宜しくお願い申し上げます。