議会日程の変更について(一般質問原稿含む)

〈平成30年9月10日投稿〉

9月4日に開会した平成30年第三定例会ですが、この度の地震による影響で7日からの一般質問を延期。本日議会運営委員会が開催され、明日11日13時より再開されることが決定しました。

変更日程はこちらからご覧ください。
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/cassette_content/content_20180910_122011.pdf

よって、一般質問の私の出番は明日11日(火)の3番目となります。

13時に開会し、増山議員、峯議員に次ぐ3番目のため、時間は2時半~3時前後?と予想されますが、これは未確定です。

hiranotuukoku

質問内容はこれまで活動してきた「炭鉄港」が日本遺産登録申請の気運が高まっている中で、岩見沢市の考え方を確認するものです。

この炭鉄港は単なる観光振興施策ではなく、空知、小樽、室蘭等との連携で、岩見沢が歩んできた歴史が活かされ、地域アイデンティティの醸成に繋がるものです。是非、未来の岩見沢にその価値を高めて伝えられるようにしていきたいと考えております。

議会ライブ中継は今回よりyoutubeライブに変更になっていますのでご注意下さい。
https://www.youtube.com/channel/UCjjSzdyAOXBFq_yRLRIS7gg?view_as=subscriber

以下、読み原稿を公開します。


通告に従い一般質問をいたします。

今回は、現在日本遺産登録に向け、気運がたかまりつつある「炭鉄港」推進に伴う地域価値の向上について数点お伺いをさせていただきます。

まず最初に「炭鉄港における岩見沢の価値に対する認識について」ご質問いたします。

近年、報道等でも「炭鉄港」の言葉を見聞きする機会が増えてまいりました。

あらためて“炭鉄港”の取り組みを整理すると、北海道開拓期から近代そして現在までの流れにおける今日の北海道を築く礎となった「空知の石炭」、それを積み出した「小樽、室蘭の港」、石炭が支えた「室蘭の製鉄」、それらを結んだ「鉄道」が生み出したモノ・コトを「炭鉄港」と称し、先日、北海道空知総合振興局地域創生部地域政策課で製作した動画から引用すると、〈炭鉄港とは、空知、小樽、室蘭において鉄道で結ばれた北海道の物語。薩摩藩で始まった日本の産業革命の芽が北海道で花開いた近代日本の原動力〉と位置づけられています。

この取り組みは、空知総合振興局を始め各地の民間主体が中心となって2010年に始まり、年々着実に成果を積み上げ、先だっての7月13日には、この岩見沢の地において、空知管内の10市町・小樽市・室蘭市、観光協会、商工会議所・商工会、その他関係団体、そして空知・胆振・後志総合振興局をメンバーとして80名近くが集い「炭鉄港推進協議会」が設立されたのは大変大きな一歩かと思います。

その推進協議会のことを掲載した報道記事によれば、早ければ来年2月に炭鉄港の日本遺産登録申請を目指すとなっております。

日本遺産(Japan Heritage)とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーとして文化庁が認定するもので、有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことで地域の活性化を図ることを目的としています。

そこであらためて、この炭鉄港が我々市民にとってどの様な価値があるかと言うと、ともすれば単なる観光施策として捉えられがちな側面もありますが、今後年月が経過した際、この取組がしっかりと育まれていくことにより、私達にとって重要な地域アイデンティティとなる大きな要素を含んでいます。その中で今、空知の中核都市であるこの岩見沢市がどの様な意志を有するのかがとても重要だと考えています。

岩見沢が炭鉄港に関わるベースとしては、例えば明治15年に、幌内炭鉱の石炭を運搬するために国内3番目の早さで敷かれた官営鉄道手宮-幌内線は、この岩見沢を中継地として発展しました。明治24年以降は岩見沢駅を起点に砂川、歌志内方面の炭鉱を結び、明治25年には岩見沢を終点として室蘭港へと鉄路が接続され、その後、ピーク時には100を超える空知の炭鉱で産出された石炭の多くが、この岩見沢を中継し、小樽方面や室蘭方面に振り分けられ本州などへ送られていった経緯があり、岩見沢はかつて国鉄が公式に国内で「鉄道の町」として認定していた僅か12の内の1つでありました。これは開拓当初から、この岩見沢に大きな「地の利」があったことを示すものであり、残念ながらエネルギー政策の転換によって、その「地の利」が低下し現在に至っています。

しかし、この炭鉄港が日本遺産登録となり、また今後盛り上がりが予想される2015年に世界遺産となった「明治日本の産業革命遺産-製鉄・製鋼、造船、石炭産業」との強い関連性が認知され関心が高まることを考慮すると、これまで負の遺産と言われがちだった空知の産業遺産の数々、また小樽、室蘭等との繋がりがとても大きな価値をもつことになっていきます。その時に、今は失われつつある岩見沢の「地の利」が再度脚光を浴び、元来、河川の接節点でもなければ中山間地域でもない、元々人が住み着き、まちとして発展する要素が少ない地形にも関わらず、空知の中核都市となったアドバンテージが見直されるものと考えます。

そこであらためて、この炭鉄港の取り組みにおける岩見沢の価値について、どう認識されているか市長の見解をお聞かせください。


次に、岩見沢市に現存する資源についてお伺いをいたします。

 先日、8月29日付けの北海道新聞夕刊、今日の話題のコーナーで芥川賞作家、朝吹真理子さんの新作にからめて、岩見沢市栗沢町万字の話が掲載されておりました。この作家、朝吹真理子さんの高祖父は明治時代の実業家である朝吹英二氏であり、この万字の炭鉱を保有し、後の明治36年には旧北炭が経営を担うことになるが、その際、朝吹家の「卍」の家紋にちなみ、現在の漢字の「万字」と命名したことが栗沢町史に記されていること、またそれと同時に、岩見沢東部丘陵地域の産業遺産等の魅力を紹介してくれていました。

 あらためて今を生きる私達は、過去を振り返るとき、本州の深い歴史に価値を見出しがちですが、実は私達はもっと身近な足元にある歴史とストーリーに目を向けることで地域に誇りと愛着を持つことができると確信しています。

 例えば岩見沢にも今述べたような東部丘陵地域の産業遺産が数多く残っています。その生い立ちの背景を知れば、より魅力が増すことは間違いありません。また身近なところではJR岩見沢複合駅舎の北側にある岩見沢レールセンターがあります。壁面の星のマークは北海道炭鉱鉄道会社(現北炭)の社章であり、その社章の基になったのは、幕末の1867年に開催されたパリ万博に、江戸幕府の抗議を受けながらも、薩摩藩が一つの国として出展する際、諸外国から国としての扱いを受けるにあたり勲章が重要という認識の下、フランスのレジオンドヌール勲章を見本としてつくった「薩摩琉球国勲章」であると言われています。

この現存する岩見沢レールセンターは1899年、19世紀に建てられた貴重なもの、という他にも、当時は同様の建物がいくつも連なる壮観な景色を思い描けること、また明治37年から、日露戦争の影響で鉄道国有法が発布される明治39年まで、炭鉱、鉄道、港湾、海運等を担うため国内の経済界と政府の支援を受けた巨大企業である北炭がこの岩見沢に本社があったことなど、様々な歴史が透けて見えてきます。

 北炭は、この鉄道国有法により鉄道部門を失ったことで、本社が岩見沢ではなく室蘭に移転するわけですが、その際、北炭とイギリスのアームストロング社、ビッカーズ社との共同出資で立ち上げたのが「株式会社日本製鋼所」であり、まさしく室蘭が鉄の街となった起点がつながってきます。

更にこの岩見沢で炭鉄港に関連するものとして、昭和24年につくられ現在も活用されているJR岩見沢駅の跨線橋に、天井の梁として再活用されている古レール群の中には、今から約128年前の1890年に、設立間もない北海道炭鉱鉄道会社がドイツのクルップ社に発注したことがわかる刻印を記した貴重なレールが存在しており、そこから日本の産業革命の歴史に思いを巡らせることもできます。また、今から136年前の明治15年にアメリカから輸入され、岩見沢にかかっていたトラス鉄橋をご存知の方も多いと思いますが、非常に数奇な運命をたどり、幾度か命拾いしながら1999年に岩見沢に里帰りをしています。間もなく岩見沢に里帰りして20年を迎えようとしていますが、この橋は北海道開拓におけるお雇い米国人とのエピソードはもとより、専門家に伺うと、世界的に見ても非常に価値のある稀有なものであると聞いています。それが岩見沢に存在する意味もこの炭鉄港の気運の高まりと共に検討する時期にきているのではないかと思います。

更にはここで多くは述べませんが、歴史には表裏あり、囚人への人権侵害や、時代を隔て、徴用等デリケートな歴史も存在すると認識します。また近代化の推進力の背景には戦争が大きな要素となっていることなども事実かと思います。しかし、それらを含めて知ること、伝えること、理解することが何より必要であり、尚且、岩見沢市単体で語ること無く、炭鉄港や世界遺産となった明治日本の産業革命遺産等を含めた広域の視点で認識することが重要だと考えます。

これまでは高度経済成長の恩恵を受け、過去を振り返る必要がなかった時代から、あらためて自分たちの足元を見直す時期にきているような気がします。そのムーブメントは今後益々高まることが予想され、自分たちの地域の価値を見直し、その時の流れに経緯を表し、自らのまちに愛着を持つべき時期にきているのだと感じています。そこでこの様な多大な価値を持つ岩見沢の資源に対し、今後どのように活用していくことを考えておられるか見解をお聞かせ下さい。


次に炭鉄港と都市計画マスタープランとの整合性についてお伺いいたします。

あらためて、今後の取り組みを考察するとき、道筋を多くの人々と共有できる市としてのビジョンが必要と思われます。それには、やはり既存の計画との整合性を図ることが重要だと認識していますが、現在の岩見沢市都市計画マスタープランを見ると、現状と課題認識において、岩見沢市は歴史的資源、街並み景観において、交通の要衝として発展した歴史を有していること、また、老朽化により歴史的な建築物や建造物の除却される可能性があることから、交通の要衝や農業地帯としての市街地発展の歴史を伝える建築物、建造物の価値を再評価し、保存・利活用などに取り組む必要性が述べられ、現存する歴史的建築物・建造物の一例として、いくつかの事例があげられています。

また、これまでの都市づくりの具体的な取り組み(実現化の方策)の進捗においても、鉄道のまち、教育のまちとして発展してきた資源の利用を考えるとともに、既存産業施設を市民活動の場などとして再生することを方策として位置づけており、また具体的施策の中で「鉄道や炭鉱など、岩見沢の歴史的資源を生かして、まちでの親しみや魅力の向上、情報発信に取り組む」と記載されています。

これらの方向性は現在推進協議会が立ち上がった炭鉄港とのリンクでより明確になり、また日本遺産登録という価値が付与されることとなればなおさら、市として未来の岩見沢市の魅力、価値向上に向け、積極的に取り組むべき事項と認識されるものと考えます。  よって、北海道、空知関係自治体、小樽市、室蘭市等の広域の取り組みにおいて、あらためて岩見沢市としてもその取り組み方針を打ち出すべく、都市計画マスタープランとの整合性を高め、より実効性のある計画とすることが必要と考えますが、市長の考えをお聞かせ下さい。


次に観光振興として、炭鉄港と岩見沢市の観光振興等各種計画との関連について
お伺いいたします。過去に策定された岩見沢市観光振興ビジョンにおいては、中長期に取り組む事業として「レールセンターと連携した取り組み」や「旧万字線、幌内線等に関連した鉄道遺産、炭鉱遺産などの歴史資源の活用」が明記されています。また、平成28年に策定された観光振興戦略にも「ヒストリーツーリズム」として炭鉱跡や炭山、その歴史や過去の遺産等を岩見沢市の魅力とともに発信するとあります。

これらは岩見沢市単体でみると人を呼び込む絶大な効果を発揮するとは言い難いものがありますが、炭鉄港の括りにおいて、空知、小樽市、室蘭市等々との連携により、僅か150キロ圏内に2015年に認定された世界遺産「明治日本の産業革命遺産」と大きく関連し、それらに匹敵するストーリーと現存物があること、また、最盛期には人口約90万人を数え、現在は30万人を切ってしまった空知においては、その最盛期を担った産業遺産群が多数現存していることから、ドイツのルール地方の様に、経済的・環境的にも負の遺産となっていた地域において、IBAエムシャーパーク構想によって地域のベクトルが「衰退」から「発展」へと切り替わり、現在は世界でも有数の観光地となっている例は大いに参考になるものであり、規模は異なれど、この空知には大きな可能性が秘められていることがわかります。

現在、空知においては今年の4月に夕張市石炭博物館がリニューアルオープンし、すでに年間目標来館者を大きく超える人々が訪れています。また赤平市では市が保有した旧住友炭鉱の立坑が見える位置にガイダンス施設が整備され、こちらも多くの人々が訪れています。

今、時代の変化が顕著になり、今後は地域の産業遺産等に価値を見出すヒストリーツーリズムや、研修や学びを主体としたエデュケーショナルツーリズムにおいても大いに高まりを見せてくると思われ、観光の手法も1ないし2箇所に滞在し、そこを拠点として周囲のまちへと足を伸ばしてもらう「ハブ観光」のスタイルも一般化してくると予測されています。その時にあらためて岩見沢市が開拓当初からアドバンテージとしてきた「地の利」が再度脚光を浴びてくるものと確信をしています。

今後、日本遺産登録申請の話題と共に、炭鉄港に関する一連の期待が高まることが予想されます。この地域により多くの人が訪れるようになるために、関連地域が連携して価値を高めるための計画と実行が必要と考えられますが、この空知の中核都市である岩見沢市において、観光振興に対し、より実効性を高めるため、既存計画との関連性の向上と見直し、及び追記等の必要があるのではないかと思われますが市長の見解をお聞かせ下さい


最後に、炭鉄港に期待する今後の展望と課題についてお伺いいたします。

 この炭鉄港というのは、これまで重要と考えられつつも後回しにされてきた地域資源の活用を見直す重要な転換点になると認識をしています。そのためにもまずは知ること。知ってもらうことが重要です。

 この炭鉄港は、空知が日本の近代化にどう関与してきたのか、この岩見沢がその一翼を担うためにどの様な役割を果たしてきたのかを知ることにも繋がり、それはこれからのまちづくりを見出す中で、過去から現在への歩みの延長線上に未来の価値を見出す。そのための大事な指標になると確信をしています。また、それがひいては自分たちのルーツを再認識し、地域に誇りと愛着、シビックプライドを抱くことに繋がるのではないでしょうか。

そして、これまで述べてきた様に、この炭鉄港という取り組みはこれまでなかなか大きな成果として実現することが難しかった広域連携が、一つの芯が通ることで現実のものになりうる期待感があります。更にこれまで岩見沢市において各種計画にも明記されてきた様に、歴史や文化が「価値のあるもの」と認識されつつも、現実には目に見えない未来の成果のために投資することができない状況を変化させ、市内外で共通の見解のもとに活動を育んでいける良きチャンスを得られるものと考えています。奇しくも今年は北海道命名150年の節目です。あらためてこの炭鉄港の取り組みに対する期待をお聞かせください。

また、何を行うにもエネルギーが必要です。現在、地域に難しい課題が山積する中、行政には人も金も不足している状況と認識しており、直接的、短期的なリターンを期待できないものに注力し難いことが考えられます。とは言え、それが手を付けない理由になると、これまで同様、一向にそういった傾向のモノゴトが進展しない懸念があり、それは先だって空知総合振興局で製作された動画の言葉を借りると、「今、私達が大切な資産として未来につなげていくべきもの」とある通り、現代を生きる私達が、「既存の地域資源を今後の岩見沢に価値あるものとしてバトンを繋ぐことができない」こととなってしまうのでは無いかと危惧しております。

そこであらためて、現在課題として捉えていること。その課題をクリアするためにどの様なことが必要と考えておられるか、市長の見解をお聞かせください。

以上、一般質問といたします。

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