〈令和4年4月19日投稿〉
3月1日~31日の期間で募集されていたパブリックコメントの結果が、岩見沢市立総合病院のサイトで公表されておりますので、ご紹介いたします。
今回は32名50件の提出があったとのことで、かなり皆様の関心が高いことを伺うことができます。
その内容については、下記リンク先よりダウンロード可能です。
この後においては、引き続き「新病院建設特別委員会」が開催されることとなりますので、随時ご報告させていただきたく存じます。
〈令和4年4月19日投稿〉
3月1日~31日の期間で募集されていたパブリックコメントの結果が、岩見沢市立総合病院のサイトで公表されておりますので、ご紹介いたします。
今回は32名50件の提出があったとのことで、かなり皆様の関心が高いことを伺うことができます。
その内容については、下記リンク先よりダウンロード可能です。
この後においては、引き続き「新病院建設特別委員会」が開催されることとなりますので、随時ご報告させていただきたく存じます。
〈令和4年4月17日投稿〉
4月10日に稲津久衆議院議員にお招きをいただき、国政に関する勉強会の機会をいただきました。
新型コロナウイルス感染症への対応について、また今後考えられること、政府の考え方等々、更に原油高騰や長期優良住宅に係わる認定制度など、多岐にわたってレクチャーいただき、更に懇親を深めることもできました。
(画像は稲津久氏のFBページより借用)
この度は誠にありがとうございました。
〈令和4年4月15日投稿〉
突然ですが、「中年の危機」という言葉をご存知でしょうか?
ミドルライフ・クライシスとも言われ、いわゆる人生の折り返しとも言える中年期に起こる、”心のゆらぎ”と言えるかと思います。
私自身、これまで家庭やプライベートを二の次にしがちで、仕事や地域活動にどっぷりと浸かり、常に忙しいのが当たり前!という感覚だったのですが、コロナ禍で環境が一変した50歳を機に突然気持ちに変化が訪れました。まぁ、深層心理の中ではずっとモヤモヤしていたものが、突然吹き出た感じなのかもしれません。
その気持と向き合いながら、30代からやっていた白髪染めをひかえてみたり、気がつくとずっと一重だった目が左だけ二重になっていたり(これは単なる物理的な加齢)。また、議員活動と会社員との両立が、時間・体力・精神的にもの凄くキツく感じ始め、かなり迷ったのですが昨年の8月末をもって、お世話になっていた会社を退職をさせていただき、議員活動に集中し、尚かつ自分自身を振り返るための時間を確保させていただいています。
お陰でより「やるべきこと」「やりたいこと」に少しずつ時間を割けるようになっている状況です。
さて、そのような中で、この自身の混沌とした感覚を解消するために、気分転換となる”何か新しいこと”を始めたいと考えました。
その一つとして、これまで蔑ろにしてきた「趣味を持ちたい!」と思って、バイクを購入(原付ニ種110CCのクロスカブですが)し、それを契機に妻も普通二輪免許を取得したりと、ちょっとした環境の変化がありました。
また冬には息子が一生懸命やっているスノーボードのレースに復帰!
今更ながら僅かながらの親子の時間を堪能しています。
まぁ、時間が自由になりやすくなったとは言え、まだまだ心身ともに余裕があるわけじゃないので、練習時間もごく僅かではありましたが、22年ぶりに日本スノーボード協会(JSBA)の会員登録を行い、50歳以上のカテゴリーで、それこそ22年ぶりに全日本選手権出場を目指してみようと考えました(例年は議会開催期間中ですが、今年は道内の名寄市が大会会場で、しかも週末の休日開催だったのです)。
これにはもう一つ目論見があって、どうせなら動画編集をちゃんとできるようになりたい!と思い、youtubeに新しいチャンネルを作って経過を上げていくことに。
そんな新チャンネルも細々とやっておりますが、まぁ、この手の作業も新鮮でなかなか面白いもので、老後に見直すのが楽しみです^^;
その冬の状況については、下記の動画をご覧頂くのが一番手っ取り早いかな?と思います(もし関心を持てましたらチャンネル内の第1話から順に追っていただければ何よりです。所詮ど素人編集のつまらぬものですが)。
上記動画内でもお伝えしていますが、結局、練習できた時間は合計たったの14時間。
それでもジョギングしたり自宅で腹筋やスクワット、体幹トレーニングしたりと、万年運動不足からの脱皮ができつつあります。そして「疲れた時こそ身体を動かせ」という言葉がある通り、身体を動かせば気持ちも変化して、色々と新しいチャレンジもできる好循環に至るような気がしています。
これからもやっぱり趣味や運動はちゃんと続けていかなくてはならないですね。
これまで、何事も根を詰めてでもできたのは若かったから!
残念ながら現在は51歳。
今までは、議員たるもの私生活は二の次として、24時間年中無休で活動する覚悟が当たりまえ!と考えていましたが、それでは現実問題、気力も体力も続かない。これからは心身共に明らかな下降線を辿ることとなりますので、ちゃんとバランスを取りながらやっていかないと、本来やるべきことができなくなってしまうと知ることができました。何事もコンディションコントロールは大事だということみたいです。今更ですが・・・。
これが中年の危機・・・、なのか、それともコロナ禍が影響した何かなのか?その詳細はわかりませんが、私にとっては貴重な振り返りの時間と、改めて前を向くための時間をもらっている様な気がしています。
「人間が生きていく中で何が大事か?」
私は「あんしん、あんぜん、幸せ」が根幹なのではないか?と信じています。あんしん、あんぜんは当たり前!でも”幸せ”って色々なことが絡まり合って結構難しい。まちづくりや政治という活動の中で、一人でも多くの幸せを高めていかなくてはならないのに、自分が幸せじゃないと実現なんて出来っこないわけです。
私の現在の年齢として、そんな色々なことを考える機会となった「人生の折り返し」を迎えているという状況なわけです。しかしながら、伊能忠敬だって50歳から高橋至時に師事して天体観測や測量の技術を学び、日本沿海図の作成に多大な功績を残していく。あらためて、”まだまだ人生はこれから!”ということでもあります。人間にとって究極の幸せは、社会のためになることに尽くせるかどうかなのかもしれません。
もうひと踏ん張り気力を高めて頑張りたいものです。
〈令和4年4月14日投稿〉
先日の10日(日)、地元の北3条町会の総会がありました。
当然、コロナ禍ゆえの配慮で1世帯1名以下の出席だったり、懇親会がなかったりと色々と制約があります。
そして今回の大きなポイントとして、これまで1~12月を年度としていましたものを今季より4~3月へと変更したことに伴い、初めての4月に行う総会となりました。
また議題の一つに町会費の引き下げがありました。
これはどういうことかと言うと、当町会も他と同様に町会への加入状況は減少の一途です。
町会に加入されない方々の理由の一つは、町会費を払いたくないというわけではなく、役員の順番が回ってきても対応できないというのが大きな要素。
よって、北3条町会では数年前から町会に入らなくても良いので、ゴミステーションの使用料だけいただけませんか?という形に変更しました。するとそのゴミステーション使用に伴う収入が約20万円ほどとなり、結果、町会加入者の会費を若干ではありますが下げることができたという状況になります。
これは今後の他地域でも参考になるものと思われます。
このゴミステーション使用料という名目が良いのか、それとも町会に加入いただいても役員にならなくて良い準会員みたいなシステムを作った方が良いのか・・。それは各地域の事情によって異なると思いますが、現在加入していない世帯の多くは、町会等を無駄なこととは思っていなく、ちゃんと役割を説明すれば共感してくれる人が大半であろうこと、しかしながら、お仕事やプライベートの時間確保等々の事情で、とてもじゃないけれど町会役員は出来ない。と考える人がいて、そういう方々にとってのこれまでの選択肢は、町会に加入するか?しないか?という2択が一般的であろうと思います。
そこでこの中間的な位置づけをつくることによって、お互いに良好な位置関係を築くことができると共に、少なくとも地域コミュニティの一員という事実が構築されることは、色々な面でメリットであると感じています。
ご参考まで。
〈令和4年4月13日投稿〉
先日の新聞報道で、地域の歴史をまとめた「北村の記憶(北村地域農泊推進協議会)」の電子版が出来たとのこと。そのデータは北村温泉のホームページからダウンロードすることができるようになっています。
北村温泉webサイト〈https://kitamuraonsen.com/〉
北村の歴史的価値は、そのガイドブックをご覧いただければ改めて偉大さがわかるのですが、この北村の開祖である「北村雄治氏」の人生は、知・財・家柄全てを兼ね備えた若く優秀な青年が「国に益し、国に奉仕」すべく大志を抱き、自らの人生をかけた挑戦であったことが伺えます。
北村雄治氏個人については、こちらを観ていただくと理解できると思いますが、自らの身の振り方を相談した相手が吉野世経(漢学者・東京府教育会長・衆議院銀議員等々)で、北海道行きを後押ししてくれたのが富田鉄之助(東京府知事・日銀総裁)。そして北海道に渡る時に同道したのが北垣国道(県令、京都府知事、4代目北海道長官、琵琶湖疏水や炭鉄港絡みでは小樽の開発でも有名)というビッグネームだらけ。
開拓が進み、北村が岩見沢から分村独立する際、その村名を命名したのが品川弥次郎(松下村塾~吉田松陰に師事、内相)という具合。
更に甲州財閥との人脈も形成し、経済的にも後押しを得て北村地域の開拓を牽引。
これらが起点となって開発されてきた地域ゆえ、非常にアンテナも高い。
雄治氏が早世し弟の黽氏が跡を継ぎ、日露戦争によりオーストラリアから羊毛が入らなくなると、いち早く国に綿羊の払い下げを働きかけるも認められず、自らの手で羊を集めて北村綿羊組合を設立。冬の農閑期にホームスパン製造に着手、日本で初めての純国産ホームスパンが誕生し、天皇家への献上品になるほどに。
また、大正13年に発行したレシピ集にある「羊肉の網焼き」はジンギスカンの原型とされ、まさに北村は「ジンギスカン発祥の地」と言えます(岩見沢市万字にはジン鍋博物館もあるし!)。
炭鉄港関連では東部丘陵地域に関することが多くなりますが、いやいや、この北村も人物的、ジンギスカン的、石狩川、樺戸集治監等にも関連し、半端でない歴史的な深みがあります。
ぜひ、掘り下げてみていただけると面白いかと思います。
(↓)こちらにも訪れてみてください。
〈令和4年4月12日投稿〉
旧国鉄万字線の展示関連について、これまでは奈良町に万字線鉄道資料館があり、美流渡交通センター2階にも資料展示があったのですが、この4月1日からは朝日コミュニティ交流センターの一室に統合移転されました。
先日、その様子を見てきがてら、葉が生い茂っていると見ることができない、万字炭鉱の炭鉱遺産関連を散策してきました。
せっかくの機会と思い動画にしておりますので、お時間あったらご覧ください。
〈令和4年4月9日投稿〉
毎週木曜日に更新されている空知総合振興局の〈てつおじさんぽ〉というブログですが、やはり本元だけあり有意義で正確な情報が掲載されています。さすがです!
そこで気になる第2弾の炭鉄港カードの予定が掲載されておりましたので、ここにご紹介させていただきます(本当は昨年の開催でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大があって延期になっておりました)。
■期間は2022年5月10日~2023年3月31日までで、全30種類!
詳細はこちらのページを参照ください。
http://sorachi-de-view.com/sorachi/tetsuojisanpo2-1?fbclid=IwAR0PIP7gUbZHSZO0rTiVDVTcBxOHzibAervj3WJ84OXYAMSzQhbso1rrZFI
あとはコロナ禍がどうなっていくのかが心配ですが、密を避けることのできるイベントとしても大いに存在意義を発揮できるのではないかと思います。私もぜひ、全種類コンプリートできるようにしたいと思っています。
なお、前回がどのような感じかご存知ない方がいらっしゃれば・・・
全箇所コンプリートした報告投稿を作成していますので、こちらをご覧ください。
(ちなみに、〈その1〉から〈その18〉まで続きます〉
今年は全てではないけれど、近場はバイクで行こうかと目論んでいます。
■てつおじさんぽのブログ
http://sorachi-de-view.com/
〈令和4年3月28日投稿〉
3月27日(日)第1回目となる炭鉄港検定が実施されました。
この検定は炭鉄港推進協議会が発行している公式ガイドテキストの内容を元に、1問2点で50問の出題で実施されます。ただテキストを闇雲に見ても、非常に難解なこともあり、事前に6回に分けてオンライン講習も開催されています。
当然、私としても挑戦しなければならないと思いつつ、私の炭鉄港知識は岩見沢周辺や薩摩閥が闊歩する明治の黎明期に特化していることもあり、この手の試験は本当に自信がない。よって、試験会場の監督員をお願いされた時には「これは受験しなくても済む!」と心の中で悪魔が喜んだものの、試験監督員は当日の午前中に別途試験を実施という容赦ない事態となり、慌てて6回のオンライン講座を受講した次第・・・。
もしかしたら後日紹介するかもしれませんが、実は今年の冬は22年ぶりに個人的な挑戦をしていて、そこに結構な時間が割かれていた状況、よってなかなか炭鉄港に時間を割いたり、頭のモードを切り替えることができず、オンライン受講をしても、それが頭に入れるための復習などができないまま当時へ(もろ言い訳ですね・・)。
試験結果は「偏差値87で中級」という、何とも地味な点数になってしまいました・・・。
誠にお恥ずかしい限り。もう少し広域の知識を蓄えることができるように、これからはもう少し真面目に勉強していきたいと思っています^^;
その勉強途中、色々な「へぇ~」を感じることができました。
戦中、近郊の石炭を活用し石油を製造するため、滝川に人造石油の工場があったのは知っていても、それだけでなく戦前~戦中にかけて滝川・砂川地域が壮大な科学コンビナートになる構想があり、砂川の東洋高圧工業では100万トン規模の硫安製造を行い、パイプラインで留萌港へ送り込み、満州や中国等アジア全域への販売を目論んでいたこと、砂川発電所は当時としては破格の10万キロワットの計画がなされていたことなどなど、自身にとって、とても身近な地域が、状況によっては壮大な化学工場が立ち並ぶ一大工業地帯になっていたかもしれないと思うと、その状況を想像し、更なる炭鉄港の奥深さを垣間見ることができます。
ちなみに当日は、このような形態で試験が開催されました。
ぜひ、次回はより多くの方が受験していただき、自分たちの地域の成り立ちについて思いを馳せていただければと思います(点数の悪いお前が言うな・・・という感じですが。)
私自身としては、この機会をいただき、これまで不得手だった部分を学べたことは大きいです。とは言え、ものすごく奥が深い炭鉄港なので、今年は新たなフィールドワークを含め、地道に一歩ずつ学んでいきたいと思っています。
現在は広く新しくなった駅前通り。
残念ながら多くの事例と同様に、拡幅整備された結果、寂しいまちなみへと変化してしまっています。しかしそれを嘆くのではなく、当事者が頑張る仕組み、当事者が増える機運を高めていかなくてはならないと思っています。
私のこれまでの活動としては、当初計画のとおり意匠性の統一が叶っていないことに対し、幾度か一般質問を行い、その結果、「暖色系」という言葉ひとつとっても言葉が形骸化してしまっていること、また看板等の意匠についても同様で、行政にはその熱意が足りなかったことがわかります。
私自身、この頃はまだ経験も乏しく、今ならもう少し違うアプローチができたかもしれないと思うと残念ですが、ここにその反省も込め、記録として主要な部分のみではありますが、これまでの経過などをまとめます。
〈令和3年3月22日投稿〉
今回の議会では市長による所信表明演説、教育長による教育行政方針演説がありました。また、それに伴う各会派からの代表質問がありました。更に新年度予算に関する予算委員会が設置されて審査されています。
これらが毎年1回目の定例会で行われる議会の大きな特徴になります。
それ以外にも今回の定例会で説明が必要そうなものがありますので、以下の様に補足します。
まず、議案第34号並びに議案第36号ですが、これに関しては昨年末に行われた人事院勧告に従い、職員・議員等の期末手当を減額することの決定となります。また議案第35号については、これまで議員が長期の欠席などによる規定がなかったものを、新たに定めたものとなります。
議案第37号の副市長の専任については、岩見沢市は現在2名の副市長がおりまうが、そのうちの1名は北海道より来ていただいている状況で、この度、新たに渡辺亮氏が提案されたことに伴い、議会で可決しています。
また市議会には国(各大臣等)へ意見を提出する「意見書」の決議という役割もあります。
今回は、水田活用の直接支払い交付金が厳格化されることに対する見直しを求める意見書が原案どおり可決されております。また決議案第1号にある(青線)ロシア連邦によるウクライナ侵略を非難することについてという決議は、通常は最終日に実施されるものですが、今回は迅速な対応が必要との考えのもと、議会開会間もない3月8日に実施されていることを申し添えます。