〈令和3年10月29日投稿〉
学校からのリクエストは「万字ズリ山登山を中心に炭鉄港と岩見沢の関わりを学びたい。」との意向。しかも朝一番から午前中一杯がフィールドワーク。午後から座学という長時間対応となります。
実はこの生徒さんたちは、7月にも岩見沢発祥の地公園でお話をさせてもらっています。
その後、そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターにて、北口事務局長から駅周辺や石炭、岩見沢の最初の駅周辺の事等々をしっかりと学んだ後の今回のフィールドワーク。
しかしながら、当日は朝から生憎の雨模様。
雨雲レーダーは秋らしく、確認するたびに状況が変わります。
一応、バスの車窓見学等をメインとした雨天対応スケジュールも作成していましたが、行きのバスの中ではガラス窓が曇って、車窓から何か説明してもイマイチ反応が鈍い状況。
そこでまずは気分転換も兼ねてバスから降りれるようにと、予定を変更しポンネ湯温泉に行き先変更。
ここは屋根があるので、バスから降車して少し元気になった模様。
ポンネ湯の冷泉を出してみて臭いを嗅いだり、備え付けのファイルを見てどこの地域から汲みにきているのかなどなど、色々と興味を持ってくれます。
そうこうしているうちに雨が弱くなり、ポンネ湯から2~30m先の万字小学校跡へ移動。
この小学校は明治30年代にできて、卒業生は6千人以上。
自分達の学校と比較して、どれほど大きな学校だったのかを通し、この地域の賑わいを想像してもらいます。
また、ここの足元には石炭くずが落ちていて、それを見つけるのもとても楽しい。
子ども達は元気になり、そして雨も弱まったことから、勢いで万字森林公園管理棟へ行ってみることに。
ここに残るホッパーの遺構と古写真との比較で、当時の賑わいを頭にいれてもらってから、ズリ山の登り口まで散策路を進み、そこからバスに引き返す予定で出発。
散策路を歩き、ズリ山の登り口まで到着。
今のところ、雨は落ち着いていて雨雲レーダーを見ても1時間以上、降雨の心配がないことを確認。
予定ではここからバスへ引き返す予定だったものの、生徒さん達からは「是非登りたい!」という強いリクエストが・・。朝から雨対応としていたたため、すでに時間的な余裕はないものの、体力のある子なら山頂まで行くことは可能。そうでない子は半分ぐらいかな?と考えながら先生と相談。
結果として行けるところまで行ってみようとなりました。
体力に自信のある子は私と山頂を目指して出発。
自信のない子はもう一人の先生とゆっくり登山することに。
結果、半分以上の子が山頂に到着!
そこでやまびこが帰ってくることを教えると、さっそくトライ。
スマホ撮影ゆえ、やまびこの反響までは聞こえませんが、現地では初めての経験に大盛りあがりとなってました。
残念ながらここで時間切れと同時に雨が降り出す始末。
結果、ルートも森林散策ではなく遅れているグループと合流できるように来た道を戻ることとしました。
しかしながら雨がどんどん本降りに。
用意されているはずの雨具の内容はバラバラ・・。
しっかり防御できる子もいれば、かなり簡素化した服装の子もいて、冷えて風邪をひかないか本当に心配でした。
そのままバスで学校に戻って給食。
私は13時15分ごろに午後からの座学のために教室に入ったのですが、それまでの心配をよそに皆元気で一安心。
ご飯を食べて教室も暖まって・・・となると、うとうとと眠ってしまう子が多いかも!という心配も何のその。みんな最後までしっかりと授業に参加してくれ、活発な質問も続きます。
今回のテーマは「岩見沢の歴史と炭鉄港」とし、開拓から高度経済成長までの岩見沢の役割などをお話しました。
最後にお伝えしたのは、昔が良くて今がだめ?とか今が良くて昔がだめ?などではなく、歴史や地域のことを学び、知ったことで何を思うか。知ったことで何ができるかが大事という事を伝えさせてもらったつもりです。
地域について事前に学習している子ども達だったので、何を言ってもレスポンスが良くとてもやりやすかった印象です。何より、日頃からの学校、先生の指導環境が良いのか、とても素直で快活な子ばかり。
悪天候の難しい条件+長丁場の難しい授業でしたが、終わってみれば、こちらが元気をもらったような気がします。
この様に小学生のうちから、自分たちの地域の歴史や価値を知り、誇りや愛着をもってもらえるようにすることは本当に大事なことだと思います。今回も炭鉄港の出前講師という形ではありましたが、今後も微力ではありますが、できる限り協力できることはしていきたいと考えています。
「8時半から14時10分までの炭鉄港授業協力」への2件のフィードバック