〈令和3年10月18日投稿〉
なかなか公に記載することをしなかったのですが、実は8月末を持って、これまで勤務していた会社を退職し、フリーランスとして活動をはじめました。当然議員活動が主となりますが、それに付随するものとして、炭鉄港等の地域資源にもっと関わりたいという思いや、他にもまちづくりの観点から、これまでやりたいと思いつつ時間が取れずに断念してきたこと等々、あらためて挑戦したい気持ちがあります。
現在はまだまだ海のものとも山のものともつかずと言った感じですが、少なくともこれまでよりは格段に学校教育等に関わる時間もできているし、ガイド等の活動も再開できそうな雰囲気です。
それらの地域活動のメインに据えるべきものとして、やはり日本遺産となった炭鉄港は外せません。しかしながら私自身、そんなに深くまで詳しいわけではなく、知識としてはまだこれからというのが正直なところです。
そこでこの度、空知の歴史や意義等をより深く知ることも含め、公職等の無い時に週に1回程度の割合で夕張市石炭博物館で勉強をさせていただいています。
現地にいると訪れる人の質問に答えたり、また実演機でのガイドなど、これまで知らなかったことを色々と学ばなくてはならず、強制的に知識が身につくと共に、来館者からの様々なフィードバックが今後の活動の糧になりそうな予感がします。
また、当博物館では、延長180mにも及ぶ地下展示があり、その最後には昭和期における採炭機械の最終形態とも言える「ドラムカッター」という機械があり、30分刻みで実演運転を行い、炭鉱等全般についてのガイドも行います。
普段は実際に北炭で働いていた西田さんという方が、そこでガイドとしてお話をし、来館者からの質問にも的確に答えていくという役割を担っているのですが、時折、その休憩時間やお休みの場合などに、私がピンチヒッターでこの役をやらせていただく機会がありました。
当然、来館者にがっかりされないように、予習も含め色々とネタを仕込んでから挑むわけですが、実際に採炭現場を経験したことが無いのはもちろん、最盛期の空知の石炭産業自体を資料でしか知らない身のため、色々と説得力にかけてしまうのではないかと心配しています。
しかしながら先日の土曜日、吉岡館長にこのガイドプレートを作成していただき、いよいよ「実は私はお手伝いなんです。」などと言い訳できない様になりました。
16日はちょうど40年前に北炭夕張新鉱でガス突出事故があり、93名が亡くなるという痛ましい事故があった日。
その様々な側面も考慮しつつ、空知の炭鉱産業の背景、時代の流れ、採炭方法、炭鉱社会の様子、炭鉄港の概略と価値などをお話させていただいています。
もちろん、まだまだ知識不足なのが否めませんが、少しでも地域の歴史に関心をもっていただき、その価値に共感してもらえるようにしていきたいと思っています。
この夕張市石炭博物館は11月7日(日)が本年の最終営業となります。
私もあと数回の出番となりますので、しっかり学んで、空知・岩見沢の未来に繋がる価値へとつなげていきたいと思っています。
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