〈令和6年4月6日投稿〉
昨日は小・中学校の入学式でした。
この度入学されたお子様、保護者の皆様に心からお喜びを申し上げます。
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今回、お招きいただいた第一小学校ではこの様なめでたいお茶を出してくれました。
桜花の塩漬けはほんのりしょっぱく、見た目も可憐で一足早い桜を楽しめ、とても素敵な気分を味わうことができました。
ありがとうございました!
さて、その入学式に合わせてというわけではないのですが、雪どけから何回か自宅周辺通学路のゴミ拾いをしました。と言っても大したことはなく、朝の犬の散歩ついでに火ばさみと袋を持って歩くだけのことです。
そこでここ最近もの凄く目立ってきたのが、加熱式の電子タバコのフィルターです。
一定数、非常によろしくない人がいるようで、冬季間に何度か車中から纏めて廃棄したと想像されるのですが、数十本のフィルターと綿棒などのゴミがひとかたまりに捨てられているのを3個所ほど片付けました。
ちなみにこの画像のところはまだ少ない方で、事前に拾った他の場所では更に大量のフィルターとタバコの空き箱なども一緒に捨ててあった状況。
これらタバコ(電子も一般的なものも)のフィルターは通常は長めの一本ものなのですが、構造的には短いフィルターを数本つなげて紙で巻かれているようで、水に濡れると短く分散されてしまう。これをひとつずつ拾うのはとても手間がかかります。
そして実はこのフィルターは紙ではなくプラスティックを多く含むようで、UNEP(国連環境計画)が示すゴミが分解されるまでの時間は10年間とのこと。紙の部分は数ヶ月で分解されるのに、このフィルターは10年経たないと分解されないというのは、昨今いわれているマイクロプラスティックによる生態系への影響にもつながってくるわけですね。
実際にポイ捨てをしている人は、当然その様なことを思い描くこともなく、自分の車内やポケットから不要なものが消えるだけなのかもしれませんが、その結果、道路には醜い「ゴミ」が散乱することとなり、それを見た子ども達が何を感じるのか。また、その延長線上には生態系にも影響を及ぼす環境破壊に繋がっていくことまでには到底思慮が及ぶことは無いのだろうと思います。
毎年のことですが、傾向としては日々の通勤途中?に車から捨てる人や、歩道を歩きながら吸い殻やタバコの空き箱をポイ捨てする人がいるようで、落ちているタバコの銘柄もかなり限定的な状況。もちろんタバコだけでなく、コンビニなどで買って食べ終わった袋等を捨てる飲食系のゴミも相当数あります。
現在は冬季間に蓄積したものが、雪解けとともに可視化されてきたので特に大量です。
昨朝もわずか30分でちょっとした買い物袋ひとつ分のゴミが集まりました。
少なくとも市政に関わる身としては、これを仕組みでなんとかしようと思えば、先進地で行っているような条例の制定等が考えられますが、その抑止効果はあまりにも限定的です。いくらルールや罰則を設けても誰も見ていないところでは人間は弱いものです。
ジャン=ジャック・ルソーは「法律は少ないほど良い国だ」と考えていたようですが、最終的には人間それぞれが社会の一員としてどう振る舞うのか。それをモラルというのでしょうが、社会契約論の視点の一つでいけば「社会を構成する人々に理性を強いる」ということになるのかもしれません。
結局のところ、多くの人々それぞれの自主的な行動として昇華するには、教育という概念が不可欠であろうと思わざるを得なく、この「モラル」という面においては、その最たる効果を発揮するのは「大人が見本となる良き背中を見せる」ことに他ならないのだと思います。
でもとても難しいことですよね・・・。
人ぞれぞれの環境が異なり連鎖があります。
だからこその想像力であり、想像力と言って思い出すのは・・・
ユヴァル・ノア・ハラリは、著書の『サピエンス全史』(柴田裕之訳〈河出文庫〉)の中で、人間と他の動物との大きな違いとして「虚構を信じる力(想像力)」があると述べています。例えば神や貨幣、法律、法人、ブランド、国家、人権や平等など、まさしく「虚構」でしかないものを「集団で信じる」がゆえに私たちの今の社会があるということになります。
この虚構を信じ守ることがモラルでありルールでもあるし、そのためには社会を構成する一人ひとりに理性を強い「イマダケ カネダケ ジブンダケ」では世の中が立ち行かなくなることも想像しなければならないのだろうと思うのです。
とはいえ私自身・・・、
今回のごみのポイ捨てのようなことに関しては、正義を振りかざしながらこのような行動をしているものの、他の部分においては全くもって至らぬ、、、他者から見れば「想像力が足りない」と思われてしまうような要素を併せ持っているのだろうと思います。だからこそ今回のような気づきの中で「人の振り見て我が振り直せ」という言葉を信じ、自分がちゃんとやれているのかどうかを謙虚に省みる機会にできたらと思っているのですが、まぁ、それでもなかなか気づけないのが人間なんですよね・・・
少なくとも、「人に迷惑をかけない」という概念と「自分も生きている以上、誰かに迷惑をかけているのだから、あらゆるモノゴトを寛大に捉えよう」との両面をバランス良くストレスの無いように生きていかなくてはならないのでしょうね。
最後に、春先に一番最初に咲く花はビニール袋などでできたごみの花です。
これらも道路などで何気なく捨てたゴミが側溝や雨水桝を通って川に流れ込み、鼻毛にひっかるかの如く木にひっかかったのが可視化されただけで、この何十倍、何百倍?ものゴミが海へストレートに流れていっているのだろうと思うと・・・
人間は愚かです。
当然自分も含めてです。