平成26年7月26日(土)
岩見沢シチズン創立2周年記念事業として、この時代において人口社会増を実現している徳島県神山町の活動の中心的人物、NPO法人グリーンバレーの大南信也氏をお招きしての講演会が実現しました。
第一部として基調講演。
そして第2部として、拙者がコーディネーター役を務めさせていただき、大南氏、赤平氏の植村真美氏、岩見沢市役所の長坂智幸氏をお招きしてのパネルディスカッションを開催いたしました。
第一部の内容を抜粋すると。。(いつも共に切磋琢磨している美唄市の佐藤さんのFBから拝借転載)
①「このまちには仕事が無い。だから、一生懸命勉強して大学へ行って、都会で仕事をしよう」
こうして子どもたちは、自分の「まち」にもどってくるという概念がないまま大人になっていく・・・。しかし、サテライトオフィスを誘致していくことで、「一生懸命勉強すれば、地元にもどってサテライトオフィスで働ける」という概念へシフトしていく・・・。
②「このまちに移住したいが仕事が無い」
多くのまちで移住施策に取り組んでいるものの、移住してきても生活をしていくための糧がないのが実情。
そこで取り入れたのがワークインレジデンス。地域に雇用がないのであれば、仕事を持った人に移住してもらおう。
サテライトオフィスの誘致に、行政からの予算はゼロ。でも個人と個人のネットワークで企業がやってくるのが神山町。
小さな成功体験を仲間で共有すれば、新しいことをするにもハードルが低くなる。しかし、アイデアキラーという、過去の失敗例を挙げながらアイデアを破壊する人が必ずいる。その人達は、「難しい!ムリだ!出来ない!オレは聞いてない!誰が責任を取る!前例がない!」と言う。しかし、前例がないことは時代の歯車を回すチャンス。出来ない理由よりも出来る方法を探し、とにかく始めることが大事。
神山町も過疎の町。未来はぼんやりしている。でも、過疎を数値化することで、未来から現在を逆算し、政策を作った。過疎を止めるのではなく、現状を受け入れろ。人口構成の健全化を行い、働き方や職種の多様化に対応を。
「すき」から「す(て)き」へ。まずは何事も「好き」からはじまる。そこに、時間をたっぷりとかけて「手」を加えていく。そうすれば「好き」が「素敵」になる。
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徳島県神山町のNPO法人グリーンバレー理事長の大南信也氏のご講演は、美唄に当てはめても十分に活用できる事例ばかりでした。
神山町の事例から、美唄でも「できる」ということがわかったので、あとは「やる」かどうかは行政・民間かかわらず、そこに住んでいる私達しだいです。「できる」ことに対して「やる」を続ければ、それが「できた」になるはず。「できた」を積み重ねたいものです。
(転載終わり)
第二部は個性的な3名の思いをどう引き出せるか?と苦心したものの、あっという間の90分間。
アンケートなどでももっと話を聞きたかったという最高の褒め言葉もあり、なんとかコーディネーター役も及第点かな?と思われます。
シンポジウム終了後に懇親会。
非常に勉強になる有意義な時間をいただきました。また、このシンポジウムを機に数名の新入会員を得ることもできました。一緒に勉強し、まちを良くしていこうという志を共有できる仲間が増えるのは何より嬉しいことです。
本シンポジウムの中で、強く印象に残っている言葉としては・・・。
まちづくりは言葉だけでは動かない。まずは既成事実を生むための実働が重要。
という様なこと。。
若干フライング気味を覚悟で、まずは既成事実をつくることの重要性を感じました。この岩見沢でも汗をかかねばなりません!
「シチズンシンポジウム《創造的過疎ー徳島県神山町》」への1件のフィードバック