■人口縮小の第一世代から、日本の未来を考えてみる■

〈令和8年8月23日投稿〉

少子化は、現代だけの問題ではないようです。

約2000年前、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスも、結婚や出産を避ける人々の増加に危機感を抱きました。

独身者や子どものいない人には相続上の不利益を与え、結婚し子どもを持つ人には、公職や法的立場で優遇を与える。今風に言えば、国家が制度によって結婚と出産を促そうとしたそうです。

しかし、こうした政策が出生を明確に押し上げたと確認できるほどの成果があったかは、よく分かっていません。


この話を知ったとき、人は誰かから「子どもを産みましょう」と言われただけで、人生を変えるわけではない、という点で現在と共通するものを感じています。

さて、2024年の世界の合計特殊出生率は約2.3まで低下し、先進国のみならず、世界人口の4分の1以上は、すでに人口がピークを越えた国や地域に暮らしているとのことです。

すでに日本、韓国、中国、ヨーロッパなどでは出生率が大きく低下しています。

そう考えると、日本は単に「少子化対策に失敗している国」ではなく、人類の多くがこれから直面する可能性の高い人口縮小社会を、先行して経験している国と言って良いと思います。

そして、その日本の中で、さらに先を走ってきた地域があります。

「北海道・空知地方の旧産炭地」です。

明治のころから本格的な開発が始まったこの地域は、急激な発展と、昭和30年代以降の炭鉱閉山に伴い、急激な人口減少を経験しました。

例えば、夕張市、三笠市、美唄市、芦別市、赤平市、歌志内市、上砂川町など、かつて炭鉱の存在が大きかった7市町では、昭和35年頃には住民登録ベースで合計約48万人もの人が暮らしていましたが、現在は5万人台となっています。

遡れば150年ほど前、この地域には現在につながるような大規模な都市的人口集積は、まだほとんどありませんでした。

そこから80年程度で一気に約48万人まで人口が増え、その後70年ほどで5万人台へ縮小する。

国内でも極めて珍しいスケール感で栄枯盛衰を経験した地域だと思います。

よって、空知の旧産炭地は、世界のトップランナーとも言える日本における、さらなる人口減少のトップランナーであり、ドラッカーの言葉を借りれば「すでに起こった未来」がここにあるわけです。

ただ、この事象と現在の日本には、決定的な違いがあります。

・旧産炭地が縮小していた時代、日本全体としては成長していた。
・炭鉱が閉山しても都市圏には多くの仕事があり、若者の行き先があった。
・国全体として、疲弊する産炭地域を支える財政的余裕があった。

いわば、「国全体が成長する中で、一部の地域だけが縮んだ」ため、旧産炭地には、地域の疲弊に抗うため、遊園地やテーマパーク等の創設、公共インフラの整備など、様々な投資を行うことができたのです。

しかし、今の日本はこの頃とは大きく異なります。

すでに国全体が人口減少のフェーズとなり、支援する側の人口も縮小していきます。

大都市へ人が移っても、日本全体の若年人口が増えるわけではありません。

全国で人口が減り、高齢化が進みます。

高度経済成長期等に整備された各種インフラは、すでに老朽化しています。

介護する人も、建設する人も、税を負担する現役世代も減り続けています。

旧産炭地が縮小した時代には、当該地域が縮んでも、その「外」には成長する日本がありました。

しかし現在、日本全体が縮小する時代には、少なくとも国内には、かつてのような「成長する外部」がありません。

そこで私は、旧産炭地の事象を「第一世代の人口縮小地域」と考えています。

第一世代は、当該地域は縮小しても、国全体には成長力があり、外部から資金や人材を投入できた時代の人口縮小です。

これに対し、今、日本が迎えているのは、「第二世代の人口縮小」です。

第一世代では、「人口減少にどう抗うか」、「どうすれば再び成長できるか」が問われ、至るところに工業団地がつくられ、企業誘致合戦が行われ、住宅や観光施設も造りました。

それでも人口減少は止められませんでした。

私は、この「抗ったけれども、かなわなかった」という歴史そのものも、未来へ伝えるべき地域価値だと思っています。

私たちの地域には、日本遺産「炭鉄港」があります。

炭鉄港は、北海道の近代化を支えた歴史やシステムを一つのストーリーとして構築していますが、その中には「過去の栄華に至る時代」だけではなく、その後の「抗いと衰退」までをストーリーの価値として位置づけています。

空知の旧産炭地では、大規模な都市的集積がほとんどない中で炭鉱が開かれ、人が集まり、鉄道が敷かれ、町が生まれました。

私が暮らす岩見沢市も、その恩恵がなければ、現在とは全く違った特性を有していたことと思います。

そして、直接的に炭鉱の存在が大きかった地域は、エネルギー政策の転換によって人口を支える産業基盤を失い、人が急激に去っていきました。

結果として、誕生から活況、そして衰退までを、ごく短い期間に経験した地域となりました。

だから炭鉄港が伝えるべきなのは、華やかな繁栄だけではありません。

日本の近代化を支えた地域が産業を失い、様々な振興策を講じて人口減少に抗い、それでも止められなかった一連の歴史まで含めて、未来へ伝える価値があると思っています。

第一世代の人口縮小の中で、何をすれば違った結果になったのか。

あるいは、そもそも「違った結果」とは、人口を再び増やすことだったのか。

その検証は、これからの日本に役立つと思っています。

それは現地を眺め、過去の背景と見比べるだけでも、感じるものがあると思っています。

私はそれを語れるようになるとともに、まだ叶ってはいませんが、次代に向けた一定の答えを探したいと思っています。


そんなことを思いながら、2000年前の話を思い出し、ローマの少子化対策はその後どうなったのか調べてみました。

アウグストゥスは「ローマ人に子を産ませよう」とした。

しかし、それがどこまで上手くいったのかは、記録上、明確には判断できないようです。

一方で、その後のローマは領土を広げるだけでなく、属州の人々を段階的に帝国の制度や市民社会へ取り込んでいきました。

そして紀元212年には、帝国内の自由民のほぼすべてにローマ市民権が与えられます。

つまりローマは、内部の出生だけで人口や国力を維持したのではなく、「外」にいた人々を「内」に取り込みながら、社会の担い手を広げていったと見ることもできます。

現代では、もちろん国を征服しなくても、国際分業の中で、より安価な労働力や資源、製品を海外に求めることで、先進国は豊かさを享受してきました。

日本もその例外ではありません。

一方で、新興国の所得水準や技術力が高まり、日本自身の人口と労働力が縮小していけば、これまでと同じ国際経済の構造が続くとは限りませんし、それが正解だったかというと疑念も湧くところです。

これから我が国の人口構造が変化し、他国との経済力や技術力の差も変わっていけば、これまで以上に難しい時代になるのだろうと思っています。

そのとき、人間は「物質的な豊かさだけで、一人ひとりが幸福に生き続けられる社会は成立するのか」という問いにも向き合わなければならないのかもしれません。

もちろん、「貧すれば鈍する」という言葉があるように、一定の経済的豊かさが必要であることは間違いないと思います。

ただ最後は、「社会の中で居場所や役割を持ち、互いに感謝し合えること」が、幸福な社会にとって大切なところなのだろうとも思っています。

それを制度でつくることができるのか?

思想なのか、宗教なのか。

あるいは、その中間にある何かなのか。

まだ私自身、答えにはたどり着いていません。

ただ、人口が増えることを前提につくられてきた社会から、人口が減っても人が幸福に暮らせる社会へ。空知の旧産炭地の過去を振り返りながら、その答えを考え続けたいと思っています。

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