故吉岡宏高氏へ哀悼の誠を捧げます

【臨時記載(偲ぶ会終了後に臨時記載分を削除します)】

「吉岡宏高さんを偲ぶ会」のご案内

歳晩の候、皆様におかれましては、ますますご清祥のこととご拝察申し上げます。

さてこの度、本年11月26日に急逝いたしました、当NPO法人炭鉱の記憶推進事業団 理事長であった吉岡宏高とご縁のある皆様にお集まりいただき、その生前の足跡を振り返りたく「偲ぶ会」を相営みたく考えております。

つきましては時節柄大変ご多用中のことと存じますが、下記のとおり執り行いますので、どなた様もお気軽にご臨席いただきたくご案内申し上げます。

令和4年12月19日

主催「吉岡宏高さんを偲ぶ会実行委員会」
実行委員長 大橋二朗(NPO法人炭鉱の記憶推進事業団副理事長)

日時 令和5年1月14日(土)午後1時より

会場 駅東市民広場「イベントホール赤レンガ」

〒068-0034 岩見沢市有明町南1番地14  電話0126-22-5871

以上

*なお当日は平服にてご参加ください。

*詳細については、こちらもご覧ください。
https://yamasoratan.blog.fc2.com/blog-entry-3346.html



〈令和4年11月28日投稿〉

今朝の新聞記事でも掲載がありましたとおり、11月26日の夜、長年にわたり〈炭鉄港〉等の活動を推進してきた吉岡宏高氏が急逝大動脈解離により急逝されました。

1999年から20年以上にわたり、「負の遺産」と言われてきた炭鉱遺産を地域固有の資源として活用することを広め、「あるもので、ないものをつくる」を具現化すべく先頭に立って突き進んできてくれた人です。

その人となりは温厚で、しかし強烈な個性と「天才」という表現しか浮かばない、広範囲で膨大な知識量を持ち、我々凡人には見えていないことを常に見つめながら歩みを進めてきた人。私は身近にいる数少ないスーパーマンの一人として尊敬していました。

NPO炭鉱の記憶推進事業団の理事メンバーの言葉を借りると「吉岡さんは機関車。私達はその機関車に引っ張られてついていく貨車」という表現がピッタリでした。その機関車を失った貨車は一体どうなるのか。

でも私達はせっかく日本遺産「炭鉄港」として芽吹いた価値を失うわけには行きません。

この小樽と室蘭にあった北炭の石炭積み出し桟橋の様に、機関車から貨車が離れ、貨車だけで自動で反転して戻っていく様に、貨車にだって意地を見せることができるような気がしています。吉岡理事長の残した功績は非常に大きく、すでに各地でその種が芽吹いています。

これまでのように、全部を見渡せるスーパーマンはいないかもしれないけれど、地域やジャンルに特化した種も「集合知」になれば何とかなるはず。私達はそんな「種」として、そしてこれまで引っ張ってもらってきた「貨車」として、その意地を見せていかなくてはならないと思っています。

少なくとも私はほんのちっぽけで微力だけれど、何かできることを模索していきたい。

今の疲弊した地方にとって、自分たちのまちのアイデンティティを再構築し、負の遺産をプラスの価値に変換できるこの「炭鉄港」をしっかりと育てていかなくてはならないと思っているのです。


故人との思いでは沢山あります。

しかしその膨大な知識量に、いつも「へぇー!」と感心して頷くばかり。あまり頭の良くない私にとっては、その「へぇ~!」があればあるほど、終わってみれば「凄い面白かったけど、なんだったっけ?」という様な情報過多の状況。色々と教えてもらった分の、せめて10分の1でも記憶に残っていれば、私ももう少し戦力になれたのにと思うと悔しくてなりません。まさかこんな突然居なくなるとはほんの1ミリも想像していなかったのです。

いつでも聞けば答えてもらえる。

そんな存在だと思いこんでいました。

本当に残念でなりません。



Googleフォトを遡ってみると懐かしい写真がいっぱいありました。

これは私が30歳のころ。

まだ炭鉱遺産等に全く感心をもっていない頃、多分、NPO法人炭鉱の記憶推進事業団の理事としてお誘いをいただき、仲間に加えてもらった頃かと思います。岩見沢複合駅舎を設計した西村さんや、岩見沢駅を中心としたまちづくりに取り組み始めた仲間と共に、三笠の幌内炭鉱跡を案内してもらっている様子です。

吉岡理事長の右側(左から3番め)は10年前に病気で急逝されたJR北海道の倉谷さん。共にまちづくりを議論した熱い大先輩でした。この写真の中で2名もすでにこの世にいないのかと思うと、寂しくてなりません。


私が取りまとめ役となり、いろんな仲間と共に活動した「2013年いわみざわ駅まる。」の一コマ。

今はものすごく有名になってしまった中井精也さんと吉岡理事長が審査をしながらコメントをしている様子です。


2019年 北海道「炭鉄港」市町村議員連盟での研修会の一コマ。

吉岡理事長の思いとして、「敵は幾万ありとても 全て烏合の勢なるぞ 味方に正しき道理あり」という言葉が出るほど、本当に認めてもらえない日々を乗り越えての炭鉄港の日本遺産認定となったのです。


2019年、念願の日本遺産認定時の交流祝賀会のスピーチ



吉岡理事長は炭鉄港の先進地としてドイツのルール地方を研究していました。

コロナ禍前の吉岡理事長最後のドイツ行きに同行させてもらったことも昨日のように思い出します。


その時の様子は以下のリンクでレポートを作成しています。
お時間あれば是非ご覧ください。


最近はコロナ禍ということもあり、あまり写真を撮る機会はなかったのですが、夕張市石炭博物館での一コマや。

炭鉱をモチーフにした演劇での一コマなど。


思いおこせば沢山の記憶があります。

まさか?ということが本当に起きてしまった今、私達は吉岡理事長の意志をどう繋いでいけるのか。

現状は心細く、先行きも思い描けず、非常に苦しいところです。

それほどに唯一無二のスーパーマンでした。

本当に頼りになる尊敬する大先輩でした。

信じて後をついていけば、ぐいぐいと地域を変化させていってくれるのではないか?そんな希望を抱かせてもらってました。

しかしもうそうではないことを痛感します。

今はまだどうしていけば良いのか見当もつきませんが、残されたみんなで力を合わせて何とか繋いでいけることを目指したいと思っています。

吉岡理事長、これまで本当にありがとうございました。

こんなにあらゆることを知っていて、フットワークが軽くて偉ぶらなくて、人当たりが良くて、そしてとてつもない信念をもっていて、人を巻き込む力をもっている人に初めて出会いました。もっともっと沢山のことを教えてもらえるつもりでしたが、それはもう叶いません。しかし、これまでの縁を大切に、吉岡理事長の思いを具現化できるように努力していきたいと思っています。

ぜひ見守っていていただければ嬉しく存じます。

本当にありがとうございました。


〈故人の略歴〉

吉岡宏高(よしおか・ひろたか)
NPO法人炭鉱の記憶推進事業団 理事長
夕張市石炭博物館 館長
㈱島津興業 顧問

●生年月日 1963(昭和38)年10月1日
●出身地  三笠市出身

三笠市立幌内小学校、三笠市立幌内中学校、岩見沢東高等学校、福島大学経済学部経営学科を卒業[1986
年]。社会人になってから札幌学院大学大学院地域社会マネジメント研究科を修了(修士/地域社会マネジ
メント学、2004年)、金沢大学大学院自然科学研究科環境環境科学専攻(博士後期課程)単位取得満期退
学[2015年]。
1986〜1992年・日本甜菜製糖㈱で芽室製糖所で経理、東京本社で新規事業企画を担当。
1992〜1997年・㈱たくぎん総合研究所で主任研究員として道内各都市の地域計画・都市計画の策定に携わ
る。
1997年・まちづくりコーディネータとして独立。
2004〜2020年・札幌国際大学観光学部教員(専任講師→助教授・准教授→教授)。
この間、教員として学生の教育にあたる一方、まちづくりコーディネーターとしての活動も継続し、道内各
地の地域資源を活用した観光交流の政策立案や市民主体の地域活動のサポート、道内各自治体での政策形成
の支援や職員研修の講師も勤めた。
出身地である三笠市を中心とした空知産炭地域では、これまで「負の遺産」と捉えられてきた炭鉱遺産を地
域固有の資源として活用して地域を活性化する活動を1999年から実践している。2007年6月に、空知管内
で展開されてきた市民活動をベースにNPO法人炭鉱の記憶推進事業団を設立し理事長に就任。2018年か
らは、同法人が夕張市石炭博物館の指定管理を受託したことに伴い館長に就任。
認定NPO法人霧多布湿原トラスト・アドバイザー(元理事)、NPO法人北海道コミュニティシネマ札幌・
理事、一般社団法人北海道まちづくり協議会・顧問。
北海道観光審議会特別委員(北海道/2000〜2001年度)、北海道地域づくりアドバイザー(北海道/
1995年度〜)、そらち・炭鉱のまちからの挑戦事業地域づくり検討委員会委員副委員長(空知支庁/
2001〜2003年度)、活力ある市街地づくりの推進方策に関する調査研究会副座長(北海道市町村振興協会
/2001〜2002年度)、日高・広尾地域における生活モビリティ形成検討委員会委員長(北海道運輸局/
2004年度〜)、恵庭市総合計画審議会委員(恵庭市/2004〜2005年度)、過疎地域を考える懇話会委員
(北海道/2006〜2008年度)、空知産炭地域活性化戦略会議委員長(空知支庁/2007〜2008年度)、産
業観光検討会議委員長(北海道経済部/2007年度)、道央地域観光戦略会議会長(北海道経済部/2008〜
2012年度)、清水町総合計画策定アドバイザー(2009〜2010年度/清水町)、小樽市文化財審議委員
(小樽市教育委員会/2013年度〜)、北海道地域おこし協力隊起業支援プログラム検討会議・人材育成検
討会議座長(2014〜2015年度/北海道総合政策部)など、100件以上の公職を歴任。


著書:『炭鉱遺産でまちづくり』2005年・富士コンテム(単著)、『明るい炭鉱』2012年・創元社(単
著)、『交通まちづくり』2006年・交通工学研究会(共著)、『産業観光への取り組み』2007年・㈶日本
交通公社(共著)、『福島 農からの日本再生』2014年・農山漁村文化協会(共著)

「故吉岡宏高氏へ哀悼の誠を捧げます」への6件のフィードバック

  1. 吉岡さんの死去に心からお悔やみ申し上げます。
    私も個人の業績についてまさに唯一無二のスーパーマンと同感するところです。負の遺産を輝く鉱石にした、烏合の衆と向き合って地道な活動をしてきた事が今日にあると共感するところです。この事業をたやすことなく引き継ぐ方々にエールを送ります。

    1. 舟橋薫様

      コメントありがとうございます。まだまだ吉岡前理事長の抜けた穴を埋めることはできませんが、みんなで力を合わせて前進中です。どうぞ今後ともご支援のほど宜しくお願い申し上げます。

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