〈令和8年5月13日投稿〉
現在の道道275号線、月形町と美唄市峰延を結ぶ「道道月形峰延線」です。
ちなみに西側が岩見沢市、東側は美唄市になります。

ここは明治14年に設置された月形の樺戸集治監と、翌年に設置された三笠の空知集治監とを結ぶ最短ルートです。当時、何か有事の際は、月形から石狩川を下り、幌向から陸路で三笠を目指すルートであったため、非常に時間がかかります。
そこで誰も踏み込まない湿地帯を貫く直線道路(厳密には泥炭の湿地帯を極力避けるため、1箇所折れ点があります)を開削したものです。
ここはその手法が強烈です。
測量は囚人が膝まで水に浸かり、測量する看守の船を押し、月形の円山と三笠の達布山で狼煙をあげ、その狼煙を目印に伐採と杭を打つところから始まります。
吉村昭の小説「赤い人」のシーンをAIで再現すると以下のような測量シーンになります。(あくまでAIによる想像図なので、実際とは異なると思われます)

砂利を敷き詰めたところでずぶずぶと沈下してしまう泥炭の湿地帯に道路をつくために、冬の間に切り出した丸太を凍った石狩川で対岸に渡し、それを筏のように敷き詰めて、その上に砂利を敷き詰めてできた道路です。
(下図、同じく生成AIによる作画)
※鎖の位置も腰に巻きたいのですが、何度やっても、どのような指示をしても何故か左右の足を結んでしまったりと、まだまだ上手く使いこなせてませんが、一昔前ではこんなものを作るのは自分には不可能だったことを考えると、これまた凄い時代になってきました。

実は今年の炭鉄港3-DAYS Weekender 2026では、月形町、三笠市、美唄市、岩見沢市の3市1町で協力し、この樺戸道路に焦点を当てるプロジェクトを準備中です。つい先日も各地の学芸員さんや担当職員の方にお集まりをいただき、秋の開催にむけ様々に方向性を協議したところです。
できればこの丸太がまだ埋まっているかどうかの調査も視野にいれていきたいのですが、道との協議の過程ではまだまだその実現は難しそうです。でも、この丸太が見つかったらまさに文化財としての価値は非常に高いものと思いますし、道路脇に説明看板とフォトジェニックな表示を設置できれば、地域の歴史を見直す大きなきっかけにもなるような気がしています。
これからの時代は、例えば岩見沢市単体で何かを実行しても、その効果は限定的なことがほとんどです。だからこそこの様な他地域との連携をwin-winの相乗効果とし、点ではなく線や面としての価値を高めることが交流人口や関係人口の創出に不可欠であると考えています。
ここは誰かに提案したところで”箸にも棒にもかからない”と認識しているので、私自身が関係者と協力しながらプレイヤーとして汗を流す覚悟です。

これは月形側で狼煙を挙げた円山の展望台からの風景です。遠くに樺戸道路が見えます。
明治の北海道に送られた囚人の中には、西南戦争などの士族反乱に関わった人々だけでなく、国会開設や自由な政治参加を求めた自由民権運動の関係者も含まれていました。彼らは、当時の政府から見れば秩序を乱す「国事犯」でしたが、別の見方をすれば、新しい日本のあり方をめぐって政府と対立した人々でもありました。
江戸時代から明治期へと、急激に時代が変化する中、国や環境を憂い、正しいことと信じた行動の結果、命を命と思わぬ人権無視の環境の中で、農地整備や道路開削などの北海道開拓の礎を担った人々の汗と涙の結果が今の私たちに繋がっています。
だからこそ、先日の報道でもあったとおり、その囚人たちの墓石を倒すなどの暴挙は、歴史を知らぬ浅はかな者たちの許せない行為なのです。今、私たちの価値観の中に、「歴史を知り、先人に感謝できる知識」が圧倒的に不足しているのだと思っています。

篠津山霊園において、樺戸集治監の囚人墓地にある墓石58基が何者かになぎ倒される器物損壊事件が発生
今年の秋に開催予定の炭鉄港3-DAYS Weekender 2026では、ぜひこの道路にスポットを当て、私たちの地域の歴史を見直し、その価値を共有する機会にしたいと思っています。