開拓使麦酒仕立て〈サッポロビール〉を飲んでみました。

先日からスペルミス〈LAGER(正)⇒LAGAR(誤)〉で回収というニュースで話題となったファミリーマート限定発売ビール、「サッポロ 開拓使麦酒仕立て」。

スペルミスぐらいで回収しなくても・・・等々、SNS等であまりにも話題になったため、スペルミスのまま販売されることとなったレアものです。

やはり話題性もあり、随分と売れているそうです。

味は深みとコクがあり、炭酸は弱め。この後に普通のサッポロビールを飲むと、味が薄くて炭酸がキツく感じた次第です。

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さて、私が飲んでみたくなったのは、決してスペルミスの話題性ではなく、やはり【炭鉄港】に関連するから。

明治初期、サッポロビールの前身にあたる「開拓使麦酒醸造所」を北海道に持ってくるべく尽力したのが村橋久成という旧薩摩藩士。

開拓時代の北海道は旧薩摩藩士が大いに活躍をしていて、黒田清隆や西郷従道等の開拓使長官、三県一局時代の札幌県、函館県、根室県、管理局のトップは全員、北海道庁時代になると永山武四郎等々が旧薩摩藩士もしくは元鹿児島県令。

これは島津斉彬公が北海道の事を「日本の宝蔵なり」と特別視していたことにも由来すると言われ、実際に北前船で運ばれた蝦夷地の海産物が、薩摩から琉球経由の闇貿易で莫大な富を得て、その資金力が明治維新に繋がるという説も。

これらの流れを汲んだ旧薩摩藩士達が、札幌の創成川イースト(今のファクトリーのある辺り)に薩摩の尚古集成館をモデルとした工業地域をつくろうと努力し、そのうちの一つがこの札幌開拓使麦酒醸造所。北海道を通して日本の発展を夢見た薩摩の人々のことを思い浮かべながら飲んでみました。

ちなみに、その薩摩と北海道の関わりは、こちらをご覧いただければわかっていただけるかと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=dtaAiQi99_0&feature=youtu.be


さて、このサッポロビールに繋がる村橋久成という人がまた興味深い人生を送っていると言います。

日本は鎖国時代、海外に渡航するのはご法度でありましたが、幕末期になると薩摩や長州は独自に密留学生を派遣。村橋久成はこの第一次英国留学生の一人であり、戊辰戦争時は榎本武揚の降伏交渉を行う。その後、新政府の開拓使官史として活躍。東京に戻り開拓使が計画中の麦酒醸造所の建設責任者に。

当初、北海道に自生していたホップを使って東京で醸造所をつくる計画であったものを、北海道の方がビール造りに気候が適し、なおかつ北海道の産業振興にも繋がるものと主張し、札幌に醸造所が作られることとなった。これが今のサッポロファクトリーの周辺ということとなります。

そして興味深いのがこの後。

財政難で開拓使の廃止に伴い、黒田清隆などが主導し開拓使の施設を破格の安値で民間に払い下げる事例が発生。主として薩摩閥を優遇するもので、開拓使官有物払い下げ事件となる。(北海道炭鉱鉄道会社も社長の堀基が旧薩摩藩士で、229万円かかってつくられた幌内炭鉱や幌内鉄道(手宮ー幌内)を破格の35万円で払い下げをしているのも一例)

村橋久成はこれらの動向に失望したとも言われ、突如開拓使をやめ、全てを捨てて托鉢僧となって放浪の旅へ出る。それ以降一切の消息が不明。

最後に神戸の路上でほとんど裸の状態で行き倒れとなり、病院に運ばれるも死亡。新聞に行旅死亡人の広告が載せられたことで、その死を知った第2代総理大臣であった黒田清隆が葬儀を行う。

葬儀の参列者には湯地定基(栗山にある湯地の由来、旧薩摩藩士)、堀基(北炭初代社長、旧薩摩藩士)、調書広丈(札幌県令、旧薩摩藩士)、永山武四郎(屯田司令官、旧薩摩藩士)、仁礼景範(海軍大臣、旧薩摩藩士)等々、浮浪者の如く行き倒れの葬儀に当時の明治政府の中核を担う面々が集うという異様な光景が見られたそうです。〈wikipedia参考〉〈こちらも面白いです

村橋久成は薩摩の上級武士であり、非常に能力の高い人だった様です。それと共に、英国に留学時も西洋文化へのカルチャーショックで心を病むなど、非常に繊細な面もあったのかと想像します。

激動の幕末から明治にかけて、その類まれな能力を発揮しつつも、世の流れに抗えない葛藤の中で世捨て人となってしまったのかもしれません。

今もある意味激動の時代を迎えつつあるような気がします。

改めてこのビールを肴に、村橋久成を始め、炭鉄港の基礎となる明治期の北海道を切り拓いた人々の想いを訪ねてみたいと思います。

【総務常任委員会傍聴】岩見沢市学校給食用パンの再開について

〈令和3年2月5日投稿〉

本日、午前10時より総務常任委員会が開催されたため傍聴に行ってきました。

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これまで学校給食のパンを製造していた業者が、諸事情により提供できなくなったことから、しばらく市内の学校給食にはパンを出すことができていません。

関係各位も様々に努力を重ね、この度、再開の目処がたっため委員会での報告となったものです。

以下、抜粋要約して記載いたします。


■再開時期について
今後、学校給食運営委員会や市PTA連合会等を対象とした試食会での意見聴取、保護者への周知などの再開に向けた準備調整を行い、令和3年度一学期中の再開を目指すこととなります。

■提供方法
・市内13社にて構成される岩見沢パン協議会が提供。
・製造はBAKERY KANSUKEが担当、仕分けはpatisserie空香が行う。
・年40回(週1回)程度とし、1回6,000食程度を予定。

■提供方針
・安心安全な岩見沢産「キタノカオリ」を100%使用。
・地元業者による学校給食用パンの提供を行う。


パンの給食を楽しみにしている子どもたちも多いことと思います。

議会も教育委員会も学校関係者も、そして提供いただく関連業者の皆様方も、それぞれが一日も早い再開を望んでいるものと思います。

私自身、パン食再開の目処がついたことで、本当にホッとしています。